日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケット一揆」の意味・わかりやすい解説
ケット一揆
けっといっき
Kett's Rebellion
1549年にイギリスの先進地帯のノーフォークおよびサフォークに起こった農民反乱。地主による共有地の囲い込み(エンクロージャー)の柵(さく)を打ち壊すことをその目標とした。同年7月初めワイモンダムでトマス・ア・ベケットの祭礼を契機として勃発(ぼっぱつ)、ケットRobert Kett (Ket)(?―1549)の指導下に勢力を拡大、約1万6000人の大部隊となって8月1日ノリッジを占拠した。国王エドワード6世の政府は農民の諸要求に対して改善を約束し一般的恩赦を申し出たが、反徒は満足せず、そのため武力討伐が決断され、正規軍が送られた。一揆は訓練を受けた兵士に抗しえずして総崩れとなり、8月末には事態が完全に収拾されて指導者ケットらは処刑された。結果としては絶対主義権力と結託した地主的近代化の方向に揺らぎはなかったといえる。
[植村雅彦]