曲谷村(読み)まがたにむら

日本歴史地名大系 「曲谷村」の解説

曲谷村
まがたにむら

[現在地名]伊吹町曲谷

甲賀こうか村の北、南流するあね川左岸に位置。東は伊吹山地で、同山地に発する起又おこしまた川が西流し集落北方で姉川に流入。西は天吉寺てんきちじ山を境に野瀬のせ村・高山たかやま(現東浅井郡浅井町)。寛永石高帳に村名がみえ高二一〇石余、小堀遠州領(幕府領か)。以後の領主変遷吉槻よしつき村に同じ。当村には石工が多かった(輿地志略)


曲谷村
まがりたにむら

[現在地名]下田村曲谷

正保国絵図に「曲り谷村」とあり、高二一〇石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では一三四石余・家一七戸。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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