日本歴史地名大系 「曾慶村」の解説 曾慶村そけいむら 岩手県:東磐井郡大東町曾慶村[現在地名]大東町曾慶大原(おおはら)村の南にあり、東方室根(むろね)山麓に発して西流する曾慶川沿いの東西に細長い村。村名は上曾慶惣ヶ屋敷(そうがやしき)の岩穴に住んで人々を苦しめていた曾皆太郎を、坂上田村麻呂が討ったことから、曾皆(そげえ)が訛り曾慶となったといわれる。上曾慶には矢倉場(やぐらば)・矢薙(やなぎ)峠・要害(ようがい)などこの伝承にかかわる地名が残る。寛永一九年(一六四二)の曾慶村検地帳(足利文書)によれば、田五五町四反余・代六二貫二五三文、畑一五八町余・代二七貫五七一文、茶畑二一歩・代二一文、名請人数七一。正保郷帳では田六〇貫二二七文・畑二六貫六二七文、ほかに新田二貫九八九文があり、松山と注記される。上曾慶村・下曾慶村に分けてよばれ、文政一二年(一八二九)まで各々に肝入が置かれていた。貞享二年(一六八五)の人数改帳(足利文書)では人頭一二六、男七三八・女五六二、うち本百姓九五三・下人六九・下女三七・名子一四四・被官一・水呑七二・扶持喰三・合地二一で肩付百姓は三四七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by