曾木郷(読み)そぎごう

日本歴史地名大系 「曾木郷」の解説

曾木郷
そぎごう

川内せんだい川とその支流羽月はつき川が合流する地点の南の盆地に位置する。曾木は「そうき」ともよんだものか。

〔中世〕

建久五年(一一九四)菱刈氏の祖重妙が京都より太良たら院に下向。重妙の三男重茂が曾木を分与され、その子孫が曾木氏を称したという(「藤原姓菱刈氏系図」菱刈文書)。鎌倉末期には、菱刈ひしかり久富ひさとみ名内田畠屋敷などをめぐって、大隅国御家人曾木五郎太郎宗茂と薩摩国御家人莫禰勤行養子平氏女とが相論を繰広げていた。平氏女の知行を認めた嘉元三年(一三〇五)九月二六日付の鎮西下知状写(曾木文書)に引用される弘安五年(一二八二)八月一五日の勤行譲状には、「大隅国菱刈郡久富内曾木・桑田代名又田畠等」が曾木入道慶阿から嫡女姫若女(勤行室)に譲られたことが記される。大隅・薩摩国古城主来由記(山門文書)には曾木彦太郎重茂の名をあげ、守護道鑑(島津貞久)の代に曾木領主居住とある。永和三年(一三七七)一〇月二八日、島津氏に対抗して南九州の国人の間で結ばれた一揆(永和大一揆)に曾木の大和守元義も加わっていた(「一揆神水契状案」禰寝文書)。さらに応永二三年(一四一六)から同三二年の間に作成されたと思われる福昌寺仏殿造営奉加帳(旧記雑録)によれば、曾木の分として藤原久直が馬一匹・代銭二貫文を寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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