曾束村(読み)そつかむら

日本歴史地名大系 「曾束村」の解説

曾束村
そつかむら

[現在地名]大津市大石曾束町おおいしそつかちよう

よど村の西方にある山間の村で、瀬田せた川は西から南へ流れを変える。曾束川が流れ、宇治方面に至る曾束越が通る。平安末より曾束庄とみえ、禅定寺ぜんじようじ(現京都府綴喜郡宇治田原町)との境相論で知られるが、これらの史料には「山城国曾束庄」とあることから、同国に属していたことがわかる。寛永石高帳には栗太くりた郡内に記載されるが、近江国に編入された年代は未詳。地名は帥大納言経信の別荘が置かれたので帥家と称し、曾束の字をあてたという(輿地志略)

天正一三年(一五八五)当時、貴船御霊きぶねごりよう神社への社領寄進状から、羽柴秀吉の家臣渡辺勘左衛門が当地を領していたという(近江栗太郡志)。江戸期を通して膳所藩領。寛永石高帳に村名がみえ、高四二六石余、小物成銀一〇二匁とあり、慶安高辻帳では田二一七石余・畑六八石余、永荒一四〇石余。山運上二六石余、小物成銀一〇二匁とあり、山運上月成二五匁ずつで銀三〇〇匁、一二月入柴代銀一〇二匁を納めている(膳所藩明細帳)。中世以来の禅定寺との山境相論は江戸期にもみられたが、山城との国境が明らかでなかったことにもよるらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報