宇治田原町域の北、
〈京都・山城寺院神社大事典〉
禅定寺造営年次目録によれば、まず永延元年(九八七)に六間二面萱葺の大房を造立。正暦二年(九九一)には本堂の「鋒始」が行われ、五年後の長徳元年(九九五)に完成。本尊として八尺の十一面観音像が安置された。長保二年(一〇〇〇)には法華八講が初めて修せられている。なお本堂造営中の正暦四年三月二六日には、三蹟の一人藤原行成が禅定寺に登り五大堂を立願しているが(権記)、この五大堂は建立されなかったらしい。当寺は初め平崇が東大寺内に建立した正法院の末寺とされたが、藤原道長など摂関家の後援を受けて広大な寺領を付せられていた。長保三年四月八日の禅定寺領田畠流記帳(禅定寺文書)によれば、
北は旧
山号小西山(もと小廬山)、臨済宗天龍寺派、本尊聖観音菩薩。
伝えによれば、かつてこの地にあった真言宗
善城寺については、「実隆公記」永正二年(一五〇五)九月一七日条に「丹後国丹波郡吉原庄小西山善城寺勧進帳草并清書事、以玄清或僧所望之間、雖不堪之事今日草之」とあり、同月二〇日条に「勧進帳今日書之、則遣了」と認めてその全文を記している。この勧進帳によれば善城寺は、和銅年中(七〇八―七一五)遍然が草創、本尊聖観音は行基の刻彫になり、もと平城宮内に祀られていたものという。
「出雲国風土記」に載る
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府綴喜郡宇治田原町にある曹洞宗大乗寺派の寺。山号,院号を合わせて白華補陀洛山観音妙智院禅定寺という。991年(正暦2)に東大寺別当だった平崇が,摂関家の援助によって創建した。1001年(長保3)に杣山1000町歩を施入し,十一面観音像(重要文化財)を本尊として運営した。2世の利原は藤原道長の運命を占い,藤原伊周(これちか)の呪詛事件に連座した宿曜師(すくようし)であった。1071年(延久3)には平等院の末寺となった。鎌倉時代は,殿下渡領となっていたことが〈近衛家所領目録〉にみえている。また隣の曾束(そつか)荘と堺相論が続けられたのは有名である。室町時代後半以降衰微して,寺の下司が管理し,無住となったが,1680年(延宝8)曹洞宗の月舟宗胡(げつしゆうそうこ)が入寺し,同宗の寺として再建となり,現在にいたる。創建以来の古文書(12巻4冊)と仏像(十一面観音,日光月光,四天王,文殊,地蔵)9体が,重要文化財に指定されている。
執筆者:藤本 孝一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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