最宝寺(読み)さいほうじ

日本歴史地名大系 「最宝寺」の解説

最宝寺
さいほうじ

[現在地名]横須賀市野比

野比のび川の上流東のなだらかな丘陵上にあり、参道尻摺しつこすり坂の登り口辺りからほぼ直線に西へ約三〇〇メートル。五明山高御蔵と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来

寺伝によると、建久六年(一一九五)源頼朝が鎌倉のべんやつ天台宗の寺院として創建し、薬師如来を本尊とし、明光を開山とするという。その後承元三年(一二〇九)明光は親鸞に帰依して浄土真宗に改め、本尊を阿弥陀如来とし、もとの本尊薬師如来は一宇を建て移安したという。正慶二年(一三三三)新田義貞の鎌倉攻めの兵火で炎上し、同所に再興され、大永元年(一五二一)再び焼失し、野比の現在地に移ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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