有富村(読み)ありどみむら

日本歴史地名大系 「有富村」の解説

有富村
ありどみむら

[現在地名]瀬高町大江おおえ

上小川かみおがわ村の西にある。村名は有留とも記される(旧高旧領取調帳など)。寿永元年(一一八二)八月一六日の瀬高下庄公文所下文(「鷹尾社祭礼関係文書写」鷹尾家文書/平安遺文八)鷹尾たかお(現大和町)への饗膳酒肴を調進する名として「有冨」がみえ、瀬高下せたかしも庄内の名であった。建暦二年(一二一二)一一月日の遷宮諸役次第注進状(同上)によると、九月九日の祭礼において「車屋有富沙汰、金栗在家雑免役」と差配されている。しかし仁治年間(一二四〇―四三)には「於稲富・有冨・元吉成・枝光之四ケ名者、称別納之地、一向不致其弁」と名頭直人らの対捍が始まり、鷹尾社大宮司は「可去付上田八段一丈於社家」と下地進止権の付与を求めている(弘長三年八月日「鷹尾社神官等言上状案」鷹尾家文書/鎌倉遺文一二)

有富村
ありどみむら

[現在地名]下関市大字有富

現下関市の中央部にあたり、南は延行のぶゆき、西は蒲生野かもうの、東は石原いしわらの各村に接する。長府藩領で西豊浦郡前支配に属する小村。

嘉禎三年(一二三七)五月二五日付の赤間関阿弥陀寺文書(「寺社証文」所収)に「阿弥陀寺免田拾弐町内」として「五段 有富」とみえる。

文明一三年(一四八一)六月の一宮神領豊東・豊西両郡田数土貢注文案写(長門一宮住吉神社文書)に「壱所貞応参百四十歩・有富名内、平田弐反・分米捌斗」とあり、この地に一宮神領があった。

慶長一五年(一六一〇)検地帳には「在富村」とみえ、延行村と合石で記載される。総石高五四五石余、うち田三二町余で四六六石、畠一五町余で五六石余、百姓屋敷五八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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