有峰村(読み)ありみねむら

日本歴史地名大系 「有峰村」の解説

有峰村
ありみねむら

[現在地名]大山町有峰

薬師やくし岳山麓、常願寺川支流和田わだ川の水源地で、標高一〇〇〇メートルの盆地。有峰に入る道は山の尾根道を利用し、安蔵あんぞう村、水須みずす口留番所、東笠ひがしかさ山・西笠山の間を通り、現在の祐延すけのべダムのルートをとった。また飛騨へは大多和おおたわ峠や唐尾からお峠道があった。「肯泉達録」は「平家の落人多く隠るといへり、今なほ武具を伝ふ」と記している。ここにいう武具とは有峰草分と伝える上野家の兜権現(現大川寺蔵)のことで、室町中期以前の作という。平家落人伝説も倶利伽羅合戦の平家でなく、平氏出自を称する江馬氏の武将河上中務丞富信が中地山なかちやま城で敗れ、元亀三年(一五七二)頃有峰に住みついたことによるとされる。現岐阜県上宝かみたから田頃家の永昌たごろけのえいしよう寺蔵の大般若経巻八六の応永二三年(一四一六)六月二三日の奥書に「飛州吉城之郡高原郷宇礼村漸之住人」とあり、この頃は飛騨国の圏内に属していたと思われる。村名は文禄四年(一五九五)の年貢割付状(越中古文書)では宇連うれ村とあり、寛文元年(一六六一)以後史料では有嶺うれい村となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報