有栖川宮威仁親王(読み)ありすがわのみや たけひとしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「有栖川宮威仁親王」の解説

有栖川宮威仁親王 ありすがわのみや-たけひとしんのう

1862-1913 明治-大正時代,有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第4王子
文久2年1月13日生まれ。明治11年有栖川宮をつぐ。西南戦争をはじめ日清(にっしん)・日露戦争従軍。また明治天皇名代として外国の式典に参列した。37年海軍大将。大正2年7月5日死去。52歳。7月7日元帥。王子の栽仁王(たねひとおう)が早世していたため,有栖川宮家は断絶した。海軍兵学校卒。幼称は稠宮(さわのみや)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「有栖川宮威仁親王」の解説

有栖川宮 威仁親王 (ありすがわのみや たけひとしんのう)

生年月日:1862年1月13日
明治時代;大正時代の皇族;海軍軍人。元帥
1913年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の有栖川宮威仁親王の言及

【威仁親王】より

…有栖川宮幟仁(たかひと)親王の王子で,兄熾仁(たるひと)親王の継嗣となって同宮第10代を継承。明治天皇の養子となり親王宣下を受けた。海軍に入り,日清・日露両戦役に従軍,海軍大将に累進した。明治天皇の信任が厚く,皇太子嘉仁親王輔導の任に尽力した。臨終に際し元帥の称を授けられ,国葬をもって葬られた。号を欽堂と称した。【武部 敏夫】…

※「有栖川宮威仁親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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