カフカ(読み)かふか(英語表記)Franz Kafka

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カフカ」の意味・わかりやすい解説

カフカ
かふか
Franz Kafka
(1883―1924)

プラハ生まれのドイツ語作家。第一次世界大戦前のオーストリア・ハンガリー帝国治下のボヘミア(現チェコの一地方)の首都プラハに、1883年7月3日、ドイツ・ユダヤ系商人の息子として生まれる。強健で勤倹力行の父と、虚弱で繊細な息子との緊張に満ちた関係は『父への手紙』その他の作品に強い痕跡(こんせき)を残した。プラハ大学で法律を学び、1908年以来プラハの労働者災害保険局に勤務。フェリーツェ・バウアーと婚約を二度結んだが、結婚に踏み切れず、1917年最終的に解消。ミレナ・イェセンスカ・ポラクとの愛情関係(1920~1922)は多分に精神的比重が大きかったが、これも解消。1917年から結核を病み、1922年嫌っていた職を捨て、翌年ベルリンに出て、作家として自立を図り、ドーラ・ディアマントと同棲(どうせい)する。しかし病気が重くなり、プラハに帰り、療養のためウィーンに移り、1924年6月3日、その郊外キールリングのサナトリウムで死去。

 小品集『観察』(1913)、『火夫』(1913)、『判決』(1913)、『変身』(1915)、『流刑地にて』(1919)、短編集『田舎(いなか)医者』(1919)、『断食芸人』(1924)がある。遺稿の作品、アフォリズム、日記、手紙、とくに長編小説『アメリカ』(1927)、『審判』(1925)、『城』(1926)は、親友で遺稿管理者のマックスブロートが、カフカの遺志に反し、死後公刊した。生前カフカはドイツ表現主義の特異な短編作家として知られたが、死後長編が紹介され、ブロートの宗教的解釈により、1930年代にはヨーロッパのユダヤ・キリスト教信仰喪失の混迷を表現する作家として、イギリス、フランスにも知られた。またシュルレアリスム、実存主義流行に伴い、その先駆者としてクローズアップされた。

 カフカが神聖ローマ帝国の首都であった古い伝統の町プラハに生涯の大部分を過ごし、西欧化されたユダヤ人に属し、強い父親コンプレックスをもっていたことは、彼の作品の幻想的世界と強い関連をもつ。明確な描写、不透明な内容の作品は、さまざまな解釈を誘い出す。なかでも際だつ一点は、カフカの、この世の支配者たる父親たちの過酷さ、残酷さへの関心であろう。カフカが作家的開眼をした『判決』では父親の息子への死刑宣告、『変身』における一夜のうちの毒虫への変身、『流刑地にて』の古い刑罰と新しいそれとの対立と古いものの復活への恐れ、『審判』の突然の逮捕と見えざる支配、と並べただけでも明瞭(めいりょう)であろう。

 カフカの構築したこの過酷な世界が、20世紀前半の惨苦、つまり第一次世界大戦、続くファシズムナチズムスターリニズムの独裁、さらに第二次大戦と続く現実と呼応して、カフカへの関心と評価を高めたといえよう。カフカの作品に現れるこの残酷さを、ペシミズムニヒリズムとする一面的批判もあるが、むしろ残酷さに対する人間的抵抗の表現とみるべきだろう。カフカの世界は多くの不透明さを含みながら、その残酷さによって、現代社会の深部に触れる。

 カフカは第二次大戦後日本でも翻訳紹介され、文学界に大きな影響を与えたが、中島敦(あつし)のように戦前すでに短編『狼疾(ろうしつ)記』(1936執筆、1942刊)でカフカ文学の受容を示している作家もいる。戦後は安部公房(あべこうぼう)の『壁』(1951)以下の諸作品、倉橋由美子(ゆみこ)の『婚約』(1960)、長谷川(はせがわ)四郎の戯曲『審判』(1968)、花田清輝(きよてる)の評論『変形譚(たん)』(1946)など、それぞれカフカ的世界を表現しているが、より本質的近似を示すのは、島尾敏雄(しまおとしお)の初期作品群であろう。

[城山良彦]

おもな作品


カフカは生前、短編・小品の名手として知られ、公刊されたのは短編集ばかりで、主著の長編『審判』(1925)、『城』(1926)は死後出版である。

 カフカ自身が出版した短編集は、『観察』(1913)、『田舎(いなか)医者』(1919)、『断食芸人』(1924)の3冊。生前カフカは、『判決』『火夫』『変身』の3編を『息子たち』という題で、また『判決』『変身』『流刑地にて』の3編を『罰』という題で、短編集として出版する計画を考えていた。これらの短編は一つの作品群を形成する。さらに『田舎医者』以後に書いた生前未刊の短編では『支那(しな)の長城を築くとき』(1931刊)など著名なものがある。『観察』には初期の印象主義的な、夢想の傾向が残り、『田舎医者』は創作力の充実が著しく、『断食芸人』には老熟がみられる。

 これらに一貫する特徴は、カフカが自分の人生を寓話(ぐうわ)とし、原型として把握していることで、寓話の主題は、現代における基準の喪失、この世の苛酷(かこく)さ、人間の生の不安である。カフカは弱肉強食の現実生活を嫌い、それが逆説的に、しばしば動物寓話として表現される。幻想的で悪夢のような内容だが、そこには一種不思議なユーモアが醸し出される。

 文学に生き、書くことに生きがいを感じたカフカは、自分のためにのみ書いたので、作品にはきわめて私的な遊びの観念が混じり、一見不可解な味わいもあるが、それがかえってカフカの独特な魅力となっている。

 カフカの寓話は、明確な表面の細部の描出と、不透明な内部をもっているため、実にさまざまな解釈が可能で、いまもなお現代文学として生き続けている。

[城山良彦]

『中野孝次・川村二郎他訳『カフカ全集』全12巻(1980~81・新潮社)』『M・ブロート著、辻瑆訳『フランツ・カフカ』(1972・みすず書房)』『K・ヴァーゲンバッハ著、中野孝次・高辻知義訳『若き日のカフカ』(1969・竹内書店)』

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カフカ
Kafka, Franz

[生]1883.7.3. プラハ
[没]1924.6.3. バイエナ
ドイツ語作家。ユダヤ人商家に生れ,プラハ大学で法律を専攻,ここで M.ブロートと知合う。 1908年から肺結核で早世する2年前まで労働者傷害保険協会に勤務。生前はまったく無名に等しく,ブロートの手で出版された数編の短編が,ヘッセ,T.マンらの注目を集めたのみであったが,死後出版された作品は,第2次世界大戦後にフランスとアメリカで高く評価されて以来,文字どおり世界の文学界に衝撃を与え,20世紀ドイツ文学を代表する作家の一人と認められた。カフカ解釈は今のところシオニズム的立場に立つブロートのものと,実存主義的なものとに分れる。しかし,巨大な現代社会のなかで自己疎外に陥った人間の存在を追究していることは確かである。『審判』 Der Prozeß (1925) ,『』 Das Schloß (26) ,『アメリカ』 Amerika (27) の長編は「孤独の3部作」といわれる。ほかに短編『判決』 Das Urteil (13) ,『変身』 Die Verwandlung (15) など。

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