…(1)江戸時代,越前国丸岡藩主。肥前国高来郡有馬荘に起こる。藤原純友の後裔と称するが,肥前藤津荘荘司平清澄・直澄の子孫とみられる。7代経澄のとき,鎌倉幕府から肥前国有馬荘の地頭職をえて有馬姓を称する。南北朝期は菊池・少弐氏にくみする。室町期の明応年間(1492‐1501)から肥前守貴純の名が聞こえ出し,その孫賢純のころ肥前6郡を制し,将軍の諱(いみな)をえて晴純と称する。晴信のとき,竜造寺氏の南進のため島津氏と結ぶが,1587年(天正15)豊臣秀吉の九州統一に服属し,高来郡4万石を領する。…
…紀州徳川家の家臣。吉宗について幕府に入り,同じく紀州からの家臣有馬氏倫(うじのり)と2人で側用取次となり,吉宗のブレーンとして享保改革を指導する。氏倫が切れ者できつい性格であったのにたいし,久通は温和重厚でよく氏倫の欠点を補ったといわれる。…
※「有馬氏倫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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