側衆(読み)ソバシュウ

デジタル大辞泉 「側衆」の意味・読み・例文・類語

そば‐しゅう【側衆】

江戸幕府職名将軍近侍し、交替宿直して城中の諸務を処理した。若干名の者は御側御用取次といい、将軍と老中以下諸役人との間の取り次ぎを行った。御側衆

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精選版 日本国語大辞典 「側衆」の意味・読み・例文・類語

そば‐しゅう【側衆】

  1. 〘 名詞 〙
  2. おそばしゅう(御側衆)
  3. おそばしゅう(御側衆)
    1. [初出の実例]「側衆、五人或六人」(出典:東職紀聞‐一(古事類苑・官位五五))

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改訂新版 世界大百科事典 「側衆」の意味・わかりやすい解説

側衆 (そばしゅう)

江戸幕府将軍近侍の役。将軍と表方役人との用件の取次ぎに当たるほか,小姓・小納戸など側近の役人の管理,奥向経費の点検,将軍非公式の使者,将軍出行の供奉などを務め,交代で宿直し,老中退出後は殿中の総務の責任者となった。4代将軍徳川家綱のとき1653年(承応2)創置を通説とするが,実体はすでに1630年代3代将軍家光の側近中根正盛に始まるとみてよい。役高5000石で旗本役であるが,大名が任ぜられることもまれではなかった。81年(天和1)側用人創設までは将軍側近最高の役であった。1716年(享保1)8代将軍吉宗は側用人を置かぬ代りに,側衆の中に御用取次の役を設け,その後常置の役となった。昇進コースは多様であるが,概して大番頭,留守居,小姓組番頭,書院番頭などを経て昇る者が多く,享保期をすぎてから奥詰,奥勤から昇る者が増加する。その多くはここで退職または死去し,一部の者が若年寄または側用人へ昇進している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「側衆」の意味・わかりやすい解説

側衆
そばしゅう

江戸幕府の職名。将軍側近の重職。1653年(承応2)創置。しかし、その起源は3代将軍徳川家光(いえみつ)の御側中根正盛(なかねまさもり)に求められる。員数は5~6人あるいは7~8人(老中支配、役高5000石、諸大夫(しょだいぶ))。交替で殿中に宿直し、日ごろ将軍に近侍して、奥向きの諸般のことをはじめ小姓(こしょう)、小納戸(こなんど)、医師などの進退を支配した。また老中退出後は、老中にかわって殿中のことを処理した。このうち二、三のものは御側御用取次(1716創置)と称し、毎日登城(宿直は免じられる)して、将軍と老中以下諸役人との間の御用掛を勤め諸事を取り扱った。大番頭(おおばんがしら)、留守居(るすい)とならび旗本の補任(ぶにん)される最高の役職の一つとされ、また将軍の側近から政務に関与し権勢を誇った。間部詮房(まなべあきふさ)や田沼意次(おきつぐ)のようにここから立身して大名に列したものがしばしばみられた。

[北原章男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「側衆」の意味・わかりやすい解説

側衆
そばしゅう

江戸幕府の職名。江戸城に交代で宿直し,将軍の近くにあって小姓などを支配し,老中が退出する夜間はこれに代って城中の事務を処理した。定員は5~6名,7~8名で,うち3名は将軍と老中との御用取次ぎの任務にあたった。慶安1 (1648) 年,牧野親成,久世広之が任じられたのが最初である。

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