20世紀日本人名事典 「服部有恒」の解説 服部 有恒ハットリ アリツネ 大正・昭和期の日本画家 生年明治23(1890)年10月9日 没年昭和32(1957)年11月24日 出生地愛知県名古屋市 本名服部 謙一 学歴〔年〕東京美術学校日本画科〔大正4年〕卒 経歴松岡映丘に師事。大正10年第3回帝展で「弘誓の稚児」初入選。同6回展で「安芸守清盛」、昭和3年同9回展で「大塔宮」がともに特選。その後も官展に歴史画を出品、新文展、日展で審査員を務めた。10年松岡映丘を盟主とする国画院結成に参加。11年武蔵野美術学校教授。13年日本画院を設立、同人として出品を続けた。作品に「時宗と祖先」「赤駒」などもある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部有恒」の解説 服部有恒 はっとり-ありつね 1890-1957 大正-昭和時代の日本画家。明治23年10月9日生まれ。松岡映丘(えいきゅう)に師事。大正10年「弘誓の稚児」が帝展初入選,以後大和絵の伝統にもとづく歴史画をえがいた。昭和13年日本画院を結成。昭和32年11月24日死去。67歳。愛知県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は謙一。作品に「大塔宮」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by