朔日市村(読み)ついたちいちむら

日本歴史地名大系 「朔日市村」の解説

朔日市村
ついたちいちむら

[現在地名]西条朔日市ついたち

東部むろ川、中央部を御舟おふね川がそれぞれ北流してひうち灘に注ぐ平地村。西部は西条の中心市街地に接する。地名は、風伯ふうはく神社の祭礼が行われる四月と七月の両朔日(一日)に市が立ち、近郷より商人が集まり、商品の売買交易をしたことによるという(西条誌)

風伯神社については、「三代実録」に「清和天皇貞観十七年三月二十九日壬子晦、授伊予国正六位上風伯神従五位下」とみえるのがこの社をさすといわれる。祭神級長津彦命・志那津比売命。もとは海辺の村の守りとして風神を祀ったのを、一柳氏が西条陣屋を建設した際、鬼門除けとして現在地に移転した。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)新居郡の項に「朔日市村 日損所、小川有」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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