風をつかさどる神。古代中国では風伯(ふうはく)といい、つねに雨の神「雨師(うし)」とともに、丙戌(ひのえいぬ)の日に西北で祭るという慣行があった。わが国では主として雷神と対(つい)にして考え、中世にはこの二神を鬼形に表現した絵や彫像も発達した。
風神の社として古く著名であったのは大和(やまと)(奈良県)の龍田比古(たつたひこ)神社・龍田比女(ひめ)神社で、『延喜式(えんぎしき)』には四時祭式(しじさいしき)にその祭式規定があり、祝詞(のりと)式にその祝詞の全文が収められている。伊勢(いせ)の内宮(ないくう)・外宮(げくう)にはともに別宮(べつぐう)として風宮(かぜのみや)があり、かの元寇(げんこう)のときにはここから神風が吹いたという伝承がある。信州(長野県)の諏訪(すわ)大社も風の宮といわれ、このほうではもっぱら風の害のないことが祈念された。近代に入ってからでも風祭りとか風祈祷(きとう)といって、風害のないことを祈る風(ふう)は多かった。その時期は主として二百十日前後であったが、所によっては5月・6月、あるいは春先にもこれを行っていた。その祭りに念仏踊が結び付いている例もある。
[石塚尊俊]
いわゆる〈風の神〉をいう。中国では,風伯,風師ともいい,飛廉,箕伯などの名で呼ばれる。風は大気の動きであり,日々の天候や時節の移り変りと深いかかわりがあるので,古くからとくに注意をはらわれており,東西南北の四方にそれぞれの風神が考えられた。甲骨文では,鳳形の鳥によって示されており,古くは鳥形の神と考えられたらしい。殷代では,犬を犠牲としてこれを祭ることが多く,後世,風を止めるのに,大道で犬を磔(たく)する習俗となって残った。漢代に丙戌の日に戌(いぬ)(北西)の地で風を祭ったのも,これと関係があろう。《三国演義》の中で,諸葛亮が七星壇を築いて風を祭り,東南の風を呼んで,曹操の軍を打ち破った話は有名。他に,風角(ふうかく)という風占もあった。
→風神・雷神(ふうじんらいじん)
執筆者:稲畑 耕一郎
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…ヒンドゥー教の風神。〈風天〉と漢訳される。…
…それ以前には地図の方位基準は一定でなく,その時代の世界観を表し,たとえば東方の地上楽園を地図のいちばん上に置いた中世ヨーロッパの地図や,南が上になっているイスラム世界の地図などがみられる。方位記号も頰をふくらませて息を吹きつけている風神の顔や文字がそれぞれの位置に配されている例がみられる。方位観念には,地域,時代によりさまざまな基準によるものがある。…
※「風神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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