朝倉文三(読み)アサクラ ブンゾウ

20世紀日本人名事典 「朝倉文三」の解説

朝倉 文三
アサクラ ブンゾウ

明治〜昭和期の医師 東京慈恵会医科大学教授。



生年
文久3年9月3日(1863年)

没年
昭和10(1935)年2月2日

出生地
上野国小幡村(群馬県)

学歴〔年〕
帝国大学医学部別科〔明治21年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
朝倉良則の二男として生まれる。明治21年大学卒業後、札幌病院、根室病院、岩内病院に勤務を経て、2年間岩内町で開業。28年ドイツのフライブルク大学に私費留学し、29年ドクトル・メディーチネ・ユニバーサルを受ける。30年帰国し東京に朝倉病院を開院するが、35年再び渡欧しスイスのベルン大学で研究に従事。44年ロンドンで開催の国際泌尿器病学会総会、ついでドイツ泌尿器病学会総会に出席し内臓結核に関する論文を発表、のち欧州を巡遊して帰国する。45年日本泌尿器病学会を創設し会長となる。のち東京慈恵会医科大学教授に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝倉文三」の解説

朝倉文三 あさくら-ぶんぞう

1863-1935 明治-昭和時代前期の医師。
文久3年9月3日生まれ。2年間のドイツ留学後,明治30年帰国し東京に朝倉病院をひらく。45年日本泌尿器病学会を創立,会長となる。のち東京慈恵医大教授。昭和10年2月2日死去。73歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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