日本歴史地名大系 「朝平郷・朝平南郷」の解説 朝平郷・朝平南郷あさひなごう・あさひなごう 千葉県:安房郡千倉町朝平郷・朝平南郷室町―戦国期にみえる郷で、南方と北方に分れ、太平洋沿岸の瀬戸(せと)川・川尻(かわじり)川・川口(かわぐち)川流域一帯、現丸山(まるやま)町・千倉町・白浜(しらはま)町にわたって展開していたとみられる。南北朝期以降、鎌倉公方足利氏の御料所であったが、関東管領上杉(山内)氏に与えられ、応永二年(一三九五)七月二四日、上杉憲方跡の所領「安房国朝平郷南方」をその子憲定が相伝した(同三年七月二三日「室町幕府管領斯波義将施行状」上杉家文書)。その後安房国へ入部した里見氏が当郷を押領、天正(一五七三―九二)末期には円蔵(えんぞう)院領があり、里見義康に「朝平南之郷、於南方、寺家屋敷寺領七貫代、北方ニ而四貫代」を安堵され、さらに末寺の円明(えんみよう)院も「於北朝平南円明院之寺領四貫、并南方ニ而九百代、合四貫九百代」を宛行われている(同一八年九月一三日「里見義康安堵状」・同一九年七月一二日「里見義康充行状写」円蔵院文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by