朝日丹波(読み)あさひ たんば

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝日丹波」の解説

朝日丹波 あさひ-たんば

1705-1783 江戸時代中期の武士
宝永2年2月17日生まれ。出雲(いずも)松江藩家老。藩主松平宗衍(むねのぶ)・治郷(はるさと)2代につかえる。宝暦10年比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)修復総奉行をつとめる。御立派(おたては)の改革といわれる藩政改革おこない,藩財政を再建した。天明3年4月10日死去。79歳。名は茂保,郷保。著作に「治国譜」「治国大本」など。

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367日誕生日大事典 「朝日丹波」の解説

朝日丹波 (あさひたんば)

生年月日:1705年2月17日
江戸時代中期の出雲松江藩家老
1783年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の朝日丹波の言及

【松江藩】より

…しかし藩主による土地領有権の切売りである義田仕法や,趣向方による新案工夫は成功しなかった。このため38歳の宗衍は隠居させられ,7代治郷(はるさと)(不昧)と朝日丹波による御立派(おたては)の改革が行われ,綱紀粛正,冗費節約,勧農抑商,徴税強化で財政危機をのりこえた。維新期には,親藩として佐幕の立場をとったことから,山陰道鎮撫使を迎えて一藩存亡の危機に立たされ,隠岐では尊王攘夷派の神官と庄屋による騒動が起こった。…

【松平治郷】より

…17歳で襲封,1806年(文化3)に致仕。治郷の襲封は家老朝日丹波による御立派(おたては)の改革政治の第一着手として行われ,父宗衍(むねのぶ)は38歳で隠居させられた。徹底した綱紀粛正と行政改革,勧農抑商と貢租増徴で藩財政の赤字を解消した改革政治であった。…

※「朝日丹波」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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