日本大百科全書(ニッポニカ) 「長屋王家木簡」の意味・わかりやすい解説
長屋王家木簡
ながやおうけもっかん
奈良市・旧平城京で発見された顕著な一群の木簡。1986年(昭和61)から89年(平成1)にわたり、平城宮に近接するデパート建設用地で発掘調査が行われた際、約10万点もの大量の木簡が発見され、話題をよんだ。このうち、左京三条二坊八坪の東南隅で発見された約3万6000点の木簡のなかには、「長屋親王宮」と記したものが多くあり、「長屋王家木簡」とよばれるに至った。これらの木簡は調査でみいだされた遺構が長屋王の邸宅であったと推測させる根拠となっている。
長屋王は奈良時代、聖武(しょうむ)天皇の治世に左大臣として権勢を誇り、藤原不比等(ふひと)の策する誣告(ぶこく)によって自殺した人物として知られるが、これらの木簡によって当時の王家の日常生活、たとえば氷室(ひむろ)や飼い犬、家政機関と物資の出入りなど王家を取り巻く環境が鮮やかに復原される点が興味深い。「長屋親王宮」と記した木簡の存在は、長屋王が親王ではないだけに、歴史学者の関心を集めている。妻の吉備(きび)内親王との縁、権勢の強大さによるものとする説が有力であるが、現在のところ、定かではない。
[水野正好]