朝田村(読み)あさだむら

日本歴史地名大系 「朝田村」の解説

朝田村
あさだむら

[現在地名]浮羽町朝田、吉井よしい徳丸とくまるなど

巨瀬こせ川上流右岸と隈上くまのうえ川下流左岸の間の平坦地に位置する大村。正保四年(一六四七)の大小道之帳では東方の田籠たごもり村まで一里二六町三〇間。暦応四年(一三四一)四月一〇日の沙弥道大譲状写(萩藩譜録/南北朝遺文(中国・四国編)二)によると、道大が孫七郎(太田信濃守時直)に譲与した所領のなかに「筑後国生葉庄内朝田村并福益名」がみえる。明応(一四九二―一五〇一)頃には五条氏(良邦か)が朝田一〇〇町のほか、橘田たちばなだ屋形やかた(現吉井町)古河ふるかわなどの地を、菊池家の重臣城重岑より「重朝様御代」以来知行相違なき地として承認されている(八月一六日「城重岑書状」五条家文書/史料纂集)天文(一五三二―五五)初めには問注所加賀守(鑑豊)が「朝田之内松尾」を味方とすることに成功し(閏一〇月六日「大友義鑑書状」問注所文書/福岡県史資料一〇)大友義鑑より朝田一〇〇町分(由原神領三〇町分を除く)東山ひがしやま(小塩に比定される)を加えて預け置かれている(八月一一日「大友義鑑知行預ケ状」同上)


朝田村
あさだむら

[現在地名]山口市大字朝田の大部分

榾木ほだぎ(四一五・九メートル)の東南麓で、北は吉敷よしき、東は黒川くろかわ平野ひらの、南は上中郷かみなかごう(現吉敷郡小郡町)の各村に接する。山口宰判所属。

明応六年(一四九七)四月、大内義興の五社参詣を記した五社御参詣之次第(「注進案」所収)に「浅田御着、五社へ御参詣」とみえる。これは朝田村内の五宮ごのみや大明神(現朝田神社)に参詣した折のもので、浅田とも記したことが知れる。天文二二年(一五五三)六月二〇日付の竹田定安家文書(「閥閲録」所収)に「吉敷郡朝田村千世丸保内段銭之事」とあるが、これは弘治三年(一五五七)の毛利隆元の状(竹田定安家文書)に「周防国吉敷郡朝田村千世丸保百石(中略)任先代証文之旨、可有進止之状如件」とあるものと同所と思われる。


朝田村
あさだむら

[現在地名]松阪市朝田町

東岸江ひがしきしえ村の東にあり、北は佐久米さくめ村、南は上川うえがわ村に接する。参宮古道が通り、東の津藩領立利たてり村へ続く。朝田地蔵菩薩堂之記(光福山朝田寺旧記)に、「総而当地者、天照大神宮第一御厨処之御供田有之故号朝田、亦朝者吾朝云儀、亦本朝云儀、故天照大神宮於天照朝田宮謂、(中略)当朝田村云朝日本事也、又田母儀、生五穀故母云、田字平構土也」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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