日本歴史地名大系 「朝立村」の解説 朝立村あさだちむら 福島県:河沼郡会津坂下町朝立村[現在地名]会津坂下町坂本(さかもと)西を只見(ただみ)川が北流する段丘上にあり、北東は大沢(おおさわ)村、北は平井(ひらい)村、南は山地。沼田街道に沿っている。「会津旧事雑考」所収天喜五年(一〇五七)六月三日の八幡宮神役目録に「朝立柳津矢鏑流馬としかへ」とある。「塔寺長帳」永正一五年(一五一八)七月七日条によれば、塔寺(とうでら)村との間に入会山をめぐる争いがあり、「あさたちのやまもり」が黒川(くろかわ)(現会津若松市)に訴え出て蘆名氏の裁決により決着がついている。この裁決に対し、杉(すぎ)村・船窪(ふなくぼ)村・蛭川(ひるかわ)村・栗(くり)村の村々が起請をしている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高九〇石余。寛文五年(一六六五)の「稲河領牛沢組郷村万改帳」では本田高一二四石余・新田高二石余、免四ツ五分八厘余、家数一三、竈一五、男五一・女三九、馬六で、小物成として綿役・糠藁・足前・山役・松葉サライがあり、ほかに役漆木七八二本余、役蝋一六貫四三三匁、楮を売り、薪を伐って商売している。 朝立村あさだちむら 千葉県:君津市旧望陀郡地区朝立村[現在地名]君津市広岡(ひろおか)外(と)ヶ野(の)村の北東に位置する。寛文四年(一六六四)の土屋利直領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、久留里藩領。以降の領主の変遷は向郷(むかいごう)村に同じ。元禄郷帳では高六六石余、天保郷帳では高八二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by