木下唯助(読み)キノシタ タダスケ

20世紀日本人名事典 「木下唯助」の解説

木下 唯助
キノシタ タダスケ

明治〜昭和期の興行主 全国仮設興行協会会長。 木下サーカスの創始者。



生年
明治15(1882)年1月7日

没年
昭和37(1962)年2月11日

出生地
香川県丸亀

旧姓(旧名)
矢野

経歴
はじめ叔父の動物見せ物小屋を手伝うが、のち岡山芝居小屋を営む興行主・木下藤十郎の目に留まり、その養子となる。明治35年中国大陸に渡り、清国の大連で軽業一座旗揚げ。37年の帰国後は一座を発展させ、軽業・曲馬団などを含む木下曲馬団(のちの木下サーカス)を結成した。さらに、大正8年には岡山に金馬館を開き、サーカスのみならず映画館経営なども手がける大興行主に成長。また、全国仮設興行協会会長なども歴任し、昭和期に隆盛を極める木下サーカス株式会社の礎を築いた。昭和23年に引退

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下唯助」の解説

木下唯助 きのした-ただすけ

1882-1962 明治-昭和時代の興行主。
明治15年1月7日生まれ。岡山市で芝居小屋を経営する木下藤十郎の養嗣子となり,明治35年清(しん)(中国)大連で軽業(かるわざ)一座を組織,37年帰国後木下曲馬団(サーカス)を創設。のち岡山で映画館の経営にも進出した。昭和37年2月11日死去。80歳。香川県出身。旧姓は矢野。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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