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曲芸と同義語であるが、主として綱渡りをさすことばとして、近世に入って用いられた。奈良時代に渡来し、『洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)』などにも描かれた「蜘舞(くもまい)」から出て、綱渡り、乱杭(らんぐい)渡り、剣の刃渡り、提灯(ちょうちん)渡り、籠(かご)抜け、人馬(ひとうま)の術、梯子(はしご)乗りなどといったものや、古態を残して近世に伝えられた蓮飛(れんとび)、曲鞠(きょくまり)、綾織(あやおり)、品玉(しなだま)といった多くの芸種を含む。そのいずれもが、身の軽さを身上とする芸人による見せ物、あるいは曲芸団による興行という形態をとることが多かった。
享保(きょうほう)(1716~1736)には座頭(ざとう)の軽業や女軽業が流行し、天明(てんめい)・寛政(かんせい)(1781~1801)ごろには小屋掛けも大々的なものになって劇的構成をとるようにもなった。幕末の1866年(慶応2)には日本の軽業師が海外公演を行い、人気を博した。1864年(元治1)には西洋から渡来した「中天竺(ちゅうてんじく)舶来之軽業」が横浜で興行されている。明治以後は西洋曲芸団の影響が大きいが、日本的なものもサーカスや寄席(よせ)芸にいまだ多くを残している。
[織田紘二]
身軽さを誇示するように,とんだり,跳ねたりしながら危険を伴う動作を軽快に演じる業をいう。近世以後,見世物の主要な部分を占めるようになった。その源流は奈良時代に大陸から伝来した散楽(さんがく)の中に求めることができる。〈綱渡り〉〈竿登り〉〈とんぼ返り〉などがあったが,それを集成したのが室町時代から江戸中期にかけて盛んに興行された〈蜘舞(くもまい)〉であった。蜘舞の呼称は,蜘が巣をかけて心やすく軒から軒を行くごとき軽き業をなす所業から起こったといわれる。江戸時代に〈乱杭渡り〉〈剣の刃渡り〉〈提灯渡り〉〈籠抜け〉〈ぶらんこ〉〈梯子(はしご)乗り〉〈紙渡り〉などの演技が加わり,江戸中期以後〈軽業〉と総称されるようになった。その技術は早くから歌舞伎芝居の中にもとり入れられた。〈綱渡り〉を中心にその芸の多くは明治以後サーカスの演目にとり入れられた。
→曲芸 →サーカス
執筆者:織田 紘二
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…【織田 紘二】
[西洋]
西洋では都市と群衆が成立するギリシア・ローマ時代に,各地を渡り歩く職業芸人が隆盛を示した。軽業(かるわざ),動物芸,奇術,音曲をはじめとして路上美術に至る,あらゆる種類の大道芸がこの時期に演じられている。その特徴は,見物人から金銭を取るという点で,オリンピック競技や剣闘試合のような公的行事がほぼ無料であったことと対比される。…
※「軽業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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