木下家定(読み)きのした いえさだ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下家定」の解説

木下家定 きのした-いえさだ

1543-1608 織豊-江戸時代前期の大名
天文(てんぶん)12年生まれ。木下長嘯子(ちょうしょうし),木下利房,小早川秀秋の父。豊臣秀吉の正室高台院の兄。尾張(おわり)(愛知県)の人。秀吉に重用され,文禄4年播磨(はりま)(兵庫県)姫路城主。関ケ原の戦いでは高台院の守護にあたる。のち徳川家康に属し,慶長6年備中(びっちゅう)(岡山県)足守(あしもり)藩主木下家第1次初代。2万5000石。慶長13年8月26日死去。66歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の木下家定の言及

【木下氏】より

…近世大名。豊臣秀吉の生家木下氏と秀吉の妻(高台院)の実家杉原氏流木下氏がある。秀吉の父弥右衛門は織田信秀の足軽で尾張中村の百姓。秀吉は信長に仕え木下藤吉郎と名のるが,出世に伴い1573年(天正1)羽柴氏に,さらに86年豊臣氏に改姓した。杉原氏は定利の女が秀吉の妻(北政所)となり,秀吉の一族として繁栄,北政所の伯父家次は秀吉に仕え丹波福知山城主となった。兄家定は秀吉に近侍し木下姓に改めて播磨姫路城主,関ヶ原の戦後備中足守(あしもり)に移封された。…

【備中国】より

…なお蒔田氏は参勤交代をしない定府大名である。足守藩は賀陽郡足守(岡山市)に陣屋をもつ2万5000石の外様小藩で,1601年秀吉正室ねねの実兄である木下家定が立藩した。のち一時幕領,私領となったが,15年家定の子利房が藩主に返り咲き,以後11代256年同氏が在封した。…

※「木下家定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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