木下利房(読み)きのした としふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下利房」の解説

木下利房 きのした-としふさ

1573-1637 織豊-江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)元年生まれ。木下家定次男豊臣秀吉につかえ,若狭(わかさ)(福井県)高浜城主となる。関ケ原の戦いで西軍に属し,所領没収大坂の陣で徳川家康にしたがい,元和(げんな)元年備中(びっちゅう)(岡山県)の父の遺領をあたえられ,足守(あしもり)藩主木下家第2次初代。2万5000石。寛永14年6月21日死去。65歳。初名は勝義

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の木下利房の言及

【木下氏】より

…近世大名。豊臣秀吉の生家木下氏と秀吉の妻(高台院)の実家杉原氏流木下氏がある。秀吉の父弥右衛門は織田信秀の足軽で尾張中村の百姓。秀吉は信長に仕え木下藤吉郎と名のるが,出世に伴い1573年(天正1)羽柴氏に,さらに86年豊臣氏に改姓した。杉原氏は定利の女が秀吉の妻(北政所)となり,秀吉の一族として繁栄,北政所の伯父家次は秀吉に仕え丹波福知山城主となった。兄家定は秀吉に近侍し木下姓に改めて播磨姫路城主,関ヶ原の戦後備中足守(あしもり)に移封された。…

※「木下利房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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