木下陣屋跡(読み)きのしたじんやあと

日本歴史地名大系 「木下陣屋跡」の解説

木下陣屋跡
きのしたじんやあと

[現在地名]箕輪町大字中箕輪 木下

村内、伊那往還の西方一〇〇メートル余の段丘上、通称うえだんにある。

飯田いいだ領の飛地であった箕輪領一万石は、初め田中たなか城に家臣をおいて支配されたが、天竜川洪水のため、慶長一七年(一六一二)に木下の上ノ段に陣屋が建てられた。以来、箕輪領の統治は私領・幕府領変遷が繰り返されたが、元文元年(一七三六)に陣屋の建物が崩壊するまで、木下陣屋で支配が行われた。

小笠原秀政年譜に「是年(慶長十七年) 公箕輪ノ庄田中ノ城屋鋪ヲ同庄ノ内木下ニ移シテ陣屋ヲ建、則屋鋪割ヲシテ諸士又ハ足軽中間等彼是大勢召置給フ」とあり、その規模は「陣屋鋪地一町二反六畝十六歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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