木全多見(読み)キマタ タミ

20世紀日本人名事典 「木全多見」の解説

木全 多見
キマタ タミ

明治期の陸軍少将 陸軍砲工学校教官



生年
安政3年12月14日(1857年)

没年
昭和11(1936)年2月7日

出生地
備前国岡山城下(岡山県岡山市)

学歴〔年〕
陸士〔明治11年〕卒

経歴
岡山遺芳館で漢学・英語・仏語を学ぶ。明治8年陸軍士官学校第1期生として入学し特科生となり工兵科を習得。在学中の10年、西南戦争に工兵見習士官として従軍し少尉進級。11年卒業し東京鎮台工兵大隊付となる。13年士官学校工兵科の教官となり地形学を教授、19年から3年間フランスに留学。帰国後は第1師団工兵隊中隊長を務める。23年陸軍砲工学校教官となり、45年に退役するまで工兵技術教育に当たり、陸軍工兵技術界の権威であった。この間、日清戦争では大阪第4師団参謀、日露戦争では築城本部長として活躍、40年少将に進む。退役後は小田原で商工補習学校を設立して子弟教育に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木全多見」の解説

木全多見 きまた-たみ

1857*-1936 明治時代軍人
安政3年12月14日生まれ。明治19年から3年間フランスに留学。23年陸軍砲工学校教官となり,45年退役するまで工兵技術教育にあたった。少将。昭和11年2月7日死去。81歳。備前(岡山県)出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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