木坂村(読み)きさかむら

日本歴史地名大系 「木坂村」の解説

木坂村
きさかむら

[現在地名]峰町木坂

三根みね村の南西、青海おうみ村の南にある。三根湾外の荒浜に臨み、北にはとぶ(飛崎)が突き出し、南はしもはなれ瀬・保利ほり崎などがある。「津島紀略」では幾佐加と訓じ、三根中みねなか村まで一里二二町、府中ふちゆう(現厳原町)まで一三里一一町。対馬国一宮と称された木坂八幡宮(現海神神社)が鎮座する。宮前の弥生時代後期のヨケジ遺跡のほか、海岸部の浜のさえにも弥生時代の遺跡がある。社前の畑で灌漑用の井戸を掘削した際に五―六世紀と推定される遺構を発見、杭が並び、水田跡とみられる。鳶崎は御前おまえ崎ともいうが、古くは飛崎と記され、トビザキともよび(津島紀略)、古代に烽(飛火)が置かれたとも考えられる。中世は三根郡のうち。応永二七年(一四二〇)八月五日の宗時国書下(三根郷給人等判物写)に「きさか民部」とみえ、当地名を名乗る者が上津かみつ八幡宮(現厳原町)造営に尽力したことから同宮領の加地子を免除された。同年月日の大掾阿比留国時より「きさか馬三郎尉」に宛てた加地子御免の判物がある(永留家文書)。享禄四年(一五三一)預職と「かりをのさへ一そん」は「きさか」の預所に安堵され(同年一一月三〇日「惣宮司慶家譲状」三根郷給人等判物写など)、同五年「きさか大たけ」の茶園など一一ヵ所が伊勢坊に与えられた(同年六月一日「峰貞勝書下」同判物写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報