木村常陸介(読み)きむらひたちのすけ

改訂新版 世界大百科事典 「木村常陸介」の意味・わかりやすい解説

木村常陸介 (きむらひたちのすけ)
生没年:?-1595(文禄4)

安土桃山時代武将。近江佐々木の出といわれるが確かなところは不明。名は重茲,定光,重高。父定重(隼人佐)のときから豊臣秀吉に仕え,1583年(天正11)ころから多く戦役に名がみられる。85年越前府中城12万石を与えられ,九州の陣,小田原の陣,文禄の役に活躍し,山城淀城18万石を与えられる。95年関白秀次事件に連座し,大門寺に自殺した。
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朝日日本歴史人物事典 「木村常陸介」の解説

木村常陸介

没年:文禄4.7.15(1595.8.20)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。木村定重の子。名は重茲,定光,重高など諸説あり確定的ではなく,隼人正と称したこともあるらしい。豊臣秀吉に仕え,天正11(1583)年の賤ケ岳の戦では,近江堂木山砦の守備大将を務めている。その功によって,若狭の佐柿国吉城主となり,小牧長久手の戦ののち,越前府中城主として12万石を与えられた。天正18年の小田原攻めには,武蔵岩付城攻撃に当たり,その後に続く出羽仙北一揆平定にも功があった。文禄4(1595)年の豊臣秀次失脚事件に連座し,山城国山崎に近い大門寺(茨木市)で自刃した。墓所も同寺。茶人としても有名で,千利休の台子七人衆のひとりに数えられている。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村常陸介」の解説

木村常陸介 きむら-ひたちのすけ

?-1595 織豊時代の武将。
豊臣秀吉につかえ,賤ケ岳(しずがたけ)の戦い,小牧・長久手(ながくて)の戦い,小田原攻めなどに活躍し,山城淀(よど)城主となる。豊臣秀次の後見役をつとめたが,秀次事件に連座して文禄(ぶんろく)4年7月15日自刃(じじん)。茶の湯を千利休にまなび,台子七人衆のひとりとしても知られる。名は重茲(しげこれ),定光,重高。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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