日本歴史地名大系 「木浜場」の解説
木浜場
このはまえりば
木浜町の場。同村地先は遠浅で魚種に富み、漁に適していた。永禄四年(一五六一)には足利氏の許状を得ているといい、茶柄杓には豊臣秀吉が巡見の際に茶の柄杓を流したという由来がある(守山市史)。明和四年(一七六七)の木浜村場書上(堅田漁業史料)には茶柄杓(高五斗)のほか、東まきの(高四石余)・北乙女(同一石余)・西まきの(同四石余)など八ヵ所・一四石余があげられており、天保五年(一八三四)には茶柄杓(長さ七〇四間)・切戸(七〇九間)・西牧野(六二一間)・東牧野(三七〇間)・西牧面(三二六間)・淵出(二一八間)・茶屋(一八〇間)・百々脇(一五一間)となっているが、これらの八ヵ所のは大で、ほかに三〇ヵ所の小を加えた三八ヵ所の場をもっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報