木舟城跡
きぶねじようあと
[現在地名]福岡町木舟
旧北陸街道(中田道)の南側に築かれた平城。県指定史跡。城主石黒氏は古代の豪族礪波臣氏に出自すると伝える。寿永二年(一一八三)木曾義仲に従い倶利伽羅峠の合戦に参加した石黒氏はその後礪波郡の各地に勢力を拡大し、その一流は南北朝期以前には小矢部川中流の木舟にも拠点を設けたとみられる。戦国末期には石黒左近蔵人(成綱)が居城し、上杉謙信が越中を征服した天正五年(一五七七)には同氏に属したが(「上杉家家中名字尽」上杉家文書)、翌年謙信が急死すると織田信長方につき、上杉方に属する末友安養寺(勝興寺)や井波瑞泉寺などを攻撃した(九月一四日「勝興寺佐計書状」伊佐早文書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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