朝日日本歴史人物事典 「末吉利方」の解説
末吉利方
生年:大永6(1526)
近世初頭の豪商,銀座頭役。通称勘兵衛,法名は道勘。摂津国平野庄町(大阪市平野区平野上町)の豪族,末吉長増(藤右衛門)の次男。末吉家は先祖は坂上田村麻呂と称され,この地に土着した名族で,平野坂上七名家のひとつ。利方は西末吉家の祖として栄えた。豊臣秀吉に仕え代官を務め,また回船業を営んで活躍したが,慶長4(1599)年ごろには徳川家康に近づき,翌5年の関ケ原の戦には家康に協力した。同6年家康より恩賞として銀座(銀貨鋳造の役所)取り立てを願って許可され,金座の後藤庄三郎(光次)の協力を得て銀座頭役(取締役)および銀座座人を組織し,一定の品位の丁銀・小玉銀(豆板銀)の鋳造に当たって,幣制上に貢献した。同9年より娘婿(一族出身と考えられる)の孫左衛門名で朱印船貿易に従事し,中心的役割を果たした。<参考文献>『大日本史料』12編26所収),田谷博吉『近世銀座の研究』,豊田武『中世日本商業史の研究』,宮本又次『近世なにわ商人の風習と年中行事』,同『大坂町人』,中田易直「末吉孫左衛門と末吉平野一統」(『日本歴史』501号)
(中田易直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報