末吉利方(読み)すえよし としかた

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末吉利方」の解説

末吉利方 すえよし-としかた

1526-1607 織豊-江戸時代前期の豪商,代官
大永(たいえい)6年生まれ。摂津平野郷(大阪府)の豪族末吉家の分家西末吉家の祖。豊臣秀吉につかえ河内(かわち)の代官をつとめ,廻船(かいせん)業もいとなむ。関ケ原戦いでは東軍に味方し,徳川家康から伏見銀座の設立を許可され,頭役となった。慶長12年3月5日死去。82歳。通称勘兵衛

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の末吉利方の言及

【後藤庄三郎】より

…95年武蔵墨書小判を造り,1600年(慶長5)から小判,一分金を造っている。かくて金座を主宰し,また家康から旨をうけて摂州平野の豪商末吉利方とともに銀座の設立を差配しているが,その聡明さと優れた力量が認められて側近にも奉仕するようになり,家康の政治,外交,貿易などにも参画した。なお,庄三郎家は11代目庄三郎光包まで続いたが,1810年(文化7)に11代目の三宅島流罪によって一家断絶となった。…

※「末吉利方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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