末吉利方(読み)すえよし・としかた

朝日日本歴史人物事典 「末吉利方」の解説

末吉利方

没年:慶長12.3.5(1607.4.1)
生年大永6(1526)
近世初頭の豪商,銀座頭役。通称勘兵衛,法名は道勘。摂津国平野庄町(大阪市平野区平野上町)の豪族,末吉長増(藤右衛門)の次男末吉家先祖坂上田村麻呂と称され,この地に土着した名族で,平野坂上七名家のひとつ。利方は西末吉家の祖として栄えた。豊臣秀吉に仕え代官を務め,また回船業を営んで活躍したが,慶長4(1599)年ごろには徳川家康に近づき,翌5年の関ケ原の戦には家康に協力した。同6年家康より恩賞として銀座(銀貨鋳造の役所)取り立てを願って許可され,金座の後藤庄三郎(光次)の協力を得て銀座頭役(取締役)および銀座座人を組織し,一定の品位の丁銀・小玉銀(豆板銀)の鋳造に当たって,幣制上に貢献した。同9年より娘婿(一族出身と考えられる)の孫左衛門名で朱印船貿易に従事し,中心的役割を果たした。<参考文献>『大日本史料』12編26所収),田谷博吉『近世銀座の研究』,豊田武『中世日本商業史の研究』,宮本又次『近世なにわ商人の風習年中行事』,同『大坂町人』,中田易直「末吉孫左衛門と末吉平野一統」(『日本歴史』501号)

(中田易直)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末吉利方」の解説

末吉利方 すえよし-としかた

1526-1607 織豊-江戸時代前期の豪商,代官。
大永(たいえい)6年生まれ。摂津平野郷(大阪府)の豪族。末吉家の分家西末吉家の祖。豊臣秀吉につかえ河内(かわち)の代官をつとめ,廻船(かいせん)業もいとなむ。関ケ原の戦いでは東軍に味方し,徳川家康から伏見銀座の設立を許可され,頭役となった。慶長12年3月5日死去。82歳。通称は勘兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の末吉利方の言及

【後藤庄三郎】より

…95年武蔵墨書小判を造り,1600年(慶長5)から小判,一分金を造っている。かくて金座を主宰し,また家康から旨をうけて摂州平野の豪商末吉利方とともに銀座の設立を差配しているが,その聡明さと優れた力量が認められて側近にも奉仕するようになり,家康の政治,外交,貿易などにも参画した。なお,庄三郎家は11代目庄三郎光包まで続いたが,1810年(文化7)に11代目の三宅島流罪によって一家断絶となった。…

※「末吉利方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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