末木村(読み)すえきむら

日本歴史地名大系 「末木村」の解説

末木村
すえきむら

[現在地名]一宮町末木

笛吹川支流のかね川扇状地に位置し、東はいちみや村。同村からの御幸おみゆき道が西の国分こくぶ村に向かう。長昌ちようしよう寺所蔵の明応五年(一四九六)書写の大般若経奥書に「山梨郡一宮庄塩田木村」とあり、一宮庄に含まれていた。奥書によると大般若経を書写したのは雨宮家国で、同氏は末木で代々続いた氏族である。天正四年(一五七六)一一月三日志村右近頭は末木郷内の一二〇坪余の地を屋敷分として諸役免除とされている(「武田家印判状写」甲斐史料集成稿)。慶長古高帳に末木とみえ高五五八石余、幕府領。ほかに慈眼じげん寺領一五石余・八幡領三斗余・天神領二斗余。貞享二年采地簿(臆乗鈔)には旗本桜井氏がみえる。同氏は寛永一〇年(一六三三)宛行われたと考えられ(「寛政重修諸家譜」など)、元禄郷帳では同家領と慈眼寺・長昌寺・八幡の寺社領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む