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手島堵庵 てじま とあん

美術人名辞典の解説

手島堵庵

江戸中・後期の心学者。京都生。幼名は宗吉郎、名は信・喬房、字は応元、通称は近江屋源右衛門・嘉左衛門、別号を東郭五楽舎等。富裕な商家に生まれ家督をついだが、石田梅岩に師事。梅岩歿後、家業を長男の和庵に譲り、もっぱら心学の講説にあたり、師の学問の普及・宣伝に尽力した。また京都に修正舎・時習舎・明倫舎を創設。門下に中沢道二上河淇水布施松翁脇坂義堂等がいる。天明6年(1786)歿、69才。

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デジタル大辞泉の解説

てじま‐とあん【手島堵庵】

[1718~1786]江戸中期の心学者。京都の。名は信。通称、近江屋嘉左衛門。石田梅岩に学び、時習社・明倫舎などを設立して心学の普及に努めた。著「坐談随筆」「知心弁疑」など。

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百科事典マイペディアの解説

手島堵庵【てしまとあん】

江戸時代中期の石門心学者。通称は近江屋源右衛門。京都の商家に生まれ,父宗義の薫陶(くんとう)を受け,18歳で石門心学の祖である石田梅岩の門に入り,後継者となって心学二世と呼ばれている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

手島堵庵 てじま-とあん

1718-1786 江戸時代中期の心学者。
享保(きょうほう)3年5月13日生まれ。家は京都の商家。石田梅岩にまなぶ。明倫舎など心学講舎を各地につくり教化につとめた。門弟に中沢道二(どうに)らがいる。天明6年2月9日死去。69歳。名は信。字(あざな)は応元。通称は近江屋源右衛門,嘉左衛門。著作に「知心弁疑」「私案なしの説」など。
【格言など】心に奢(おごり)ある時は人をあなどる。奢なき時は人を敬う

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朝日日本歴史人物事典の解説

手島堵庵

没年:天明6.2.9(1786.3.8)
生年:享保3.5.13(1718.6.12)
江戸中期の石門心学者。名は信,字は応元,通称は近江屋嘉左衛門,堵庵は号。京都の商家に生まれ,家職を勤めながら18歳で石田梅岩について心学を修め,20歳で開悟した。44歳で家督を長子に譲ってのちは心学の布教と統制に専念し,心学普及の推進者となった。梅岩を継承して人間の本質を「性」に求める教化理念を中核としたが,梅岩教学にみられた社会批判の側面を捨象し,心に「思案なし」の境地を築く自己批判を中心とした精神修養によって心学を再構成した。布教に際しては心学者の養成と教化活動に厳格な法を設けたり,道話を行う講席と修行道場を兼ねた心学講舎を各地に設営した。世俗的な文言や絵を刷りこんだ「施印」,子供向けに『新実語教』『男子前訓』『女子前訓』,女性向けに『女冥加訓』,子守娘には『子守唄』を編述するなど,布教の相手にふさわしい教材や教科書を用意して教化に努めた。<著作>『増補手島堵庵全集』<参考文献>石川謙『石門心学史の研究』

(石川松太郎・天野晴子)

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世界大百科事典 第2版の解説

てじまとあん【手島堵庵】

1718‐86(享保3‐天明6)
江戸時代中期の石門心学者。名は信,通称は近江屋源右衛門。堵庵は号。京都の裕福な商家に生まれ,父宗義の薫陶を受け,18歳で石田梅岩の門に入り,やがてその後継者となって心学二世と呼ばれている。平易な言葉で師説を祖述し,心学講舎の制をたてて,教化の普及につくした。《知心弁疑》など著書は20種に及ぶ。また幼児教育にも努め,《前訓》という手引書も著している。《手島堵庵全集》全1巻(1931)がある。【竹中 靖一】

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大辞林 第三版の解説

てしまとあん【手島堵庵】

1718~1786) 江戸中期の心学者。俗称は近江屋嘉左衛門。京都の商人の出身。石田梅岩に師事。四四歳で家業を長男に譲り、心学の普及に努めた。著「前訓」「知心弁疑」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

手島堵庵
てじまとあん

[生]享保3(1718).京都
[没]天明6(1786).2.9. 京都
江戸時代中期の石門心学者。名は信,一名喬房,字は応元。堵庵は号で,俗称を近江屋嘉左衛門といった。京都の富商上河家に生れ,18歳のとき初めて石田梅岩の門に入り,心学を修め,20歳で開悟したという。師の没後,居を五楽舎と号して,門弟の育成,心学の普及に努めた。門弟に中沢道二上河淇水らがいる。主著『知心弁義』 (1773) ,『会友大旨』 (74) ,『坐談随筆』『明徳和賛』『新実語教』。

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367日誕生日大事典の解説

手島堵庵 (てじまとあん)

生年月日:1718年5月13日
江戸時代中期の石門心学者
1786年没

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世界大百科事典内の手島堵庵の言及

【石門心学】より

…梅岩は商人を市井の臣としてその社会的職分を強調し,商業道徳の確立を説いた。梅岩の後を継いだ手島堵庵(とあん)は師の思想を平易化するとともに,心学の同志が集まって切磋琢磨(せつさたくま)する組織として梅岩以来の月次の研究会を会輔と名づけ,会輔席にあてる講舎の制をたてた。京都では堵庵の自宅をあてた五楽舎のほか,明倫舎,脩正舎,時習舎の3舎ができ,この3舎が心学の本山となって,ここから各種の認可証が発行され,これを三舎印鑑といった。…

※「手島堵庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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