本丁(読み)ほんちよう

日本歴史地名大系 「本丁」の解説

本丁
ほんちよう

[現在地名]高梁市内山下うちさんげ

御根おね小屋(御殿)の西下にあった上級家臣屋敷町。内山下とも通称しており、明治維新後正式に内山下と改めた。南は上谷かみだに(現小高下谷川)、北は現八重籬やえがき神社、西は川端かわばた丁に接し、延長四町四一間の道路に沿って屋敷が並んでいた。南の入口には惣門(梁行二間・桁行三間半)と番所(梁行一間・桁行三間半)があった。番所には泊り番が詰めており、朝五つ(およそ午前八時頃)に惣門をあけ、夜五つ(およそ午後八時頃)に閉めていた。惣門前の広場(広小路)には、米蔵と制札場があり、目安箱も置かれていた(昔夢一斑)。この広場は松山城下と山陽道板倉いたくら宿(現岡山市)とを結ぶ備前往来および松山城下と新見町(現新見市)を結ぶ新見往来起点であり、広場の北東角から幅二間の上谷川に架かる橋を南へ渡ると備前往来沿いのほん町、広場の北西角から松山川沿いに北進すると川端丁に入っていた。

惣門は松山城主三村氏時代にすでに設けられており、天正三年(一五七五)の備中兵乱のとき松山城に籠城していた三村勢は、押寄せた毛利勢に度々夜討をかけ、討取った敵勢の首三千一一六を惣門に柵を結んで掛並べていたといわれる(中国兵乱記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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