20世紀日本人名事典 「本因坊秀元」の解説 本因坊 秀元ホンインボウ シュウゲン 明治・大正期の棋士 本因坊第16世・20世。 生年安政1年(1855年) 没年大正6(1917)年9月5日 出生地江戸 本名土屋 秀元 別名通称=百三郎 経歴明治12年兄秀悦の跡を継ぎ、本因坊第16世となり、17年家督を兄秀栄に譲る。40年秀栄が没し、秀元の推す田村保寿(本因坊秀哉)と秀栄の未亡人の支持する雁金準一の間に名跡争いがおこり、坊門が瓦解の危機に瀕したため、自ら名跡を相続して第20世となる。翌41年田村保寿に第21世を譲った。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本因坊秀元」の解説 本因坊秀元 ほんいんぼう-しゅうげん 1854-1917 明治時代の囲碁棋士。安政元年生まれ。14世本因坊秀和の3男。明治12年3段で長兄の15世秀悦の跡をつぎ,16世本因坊となる。17年次兄秀栄(17・19世)に家督をゆずったが,40年秀栄が没し,名跡争いで坊門が危機にひんしたため,ふたたび本因坊(20世)となった。大正6年9月5日死去。64歳。江戸出身。姓は土屋。通称は百三郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by