朝日日本歴史人物事典 「本因坊秀和」の解説
本因坊秀和
生年:文政3(1820)
幕末明治期の囲碁棋士,14世本因坊。伊豆田方郡(静岡県)生まれ。本姓土屋,幼名俊平,恒太郎。文政11(1828)年,本因坊丈和に入門。進歩著しく天保11(1840)年七段で13世本因坊丈策の跡目となった。名人碁所をめぐって師丈和と井上因碩(幻庵)との確執があり,同10年丈和は退隠。その機に因碩が名人碁所を望んだ。坊門は異議を唱え同11年因碩と秀和の間で争碁が始まった。第1局で秀和が勝ち,因碩は名人願書を取り下げた。弘化4(1847)年丈策が病死,翌年14世本因坊。門下から秀策,秀甫など俊秀が出たが,江戸から明治への時代の変革の中で家禄奉還などにあい晩年は不遇だった。<参考文献>杉内雅男『秀和』(日本囲碁大系),荒木直躬『本因坊秀和全集』(歴代名人打碁大系)
(谷口牧夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報