本因坊(読み)ホンインボウ

デジタル大辞泉 「本因坊」の意味・読み・例文・類語

ほんいんぼう〔ホンインバウ〕【本因坊】

囲碁の一流派。碁所四家の筆頭安土桃山時代本因坊算砂さんさを祖とし、21世秀哉しゅうさいまで継承
昭和14年(1939)以後、囲碁の専門棋士による選手権優勝者に与えられる称号。→本因坊戦
[類語]棋士碁打ち将棋指し棋聖名人

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精選版 日本国語大辞典 「本因坊」の意味・読み・例文・類語

ほんいんぼうホンインバウ【本因坊】

  1. [ 1 ] 本因坊算砂(さんしゃ)。京都寂光寺塔頭(たっちゅう)本因坊の住僧で、江戸幕府碁所(ごどころ)家元となった。永祿元~元和九年(一五五八‐一六二三)。
  2. [ 2 ] 囲碁の一流派。碁所の家元。算砂を祖とし、世襲して二十一代秀哉にいたる。昭和一四年(一九三九)秀哉の引退後は、実力によって争奪される優勝者の称号となる。碁の名人。
    1. [初出の実例]「碁盤まで本因坊が能を見ば目は白黒くなりぬべきかな」(出典:咄本・醒睡笑(1628)七)

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改訂新版 世界大百科事典 「本因坊」の意味・わかりやすい解説

本因坊 (ほんいんぼう)

江戸時代,幕府の扶持(ふち)を受けた囲碁家元4家の筆頭。京都寂光(じやつこう)寺の塔頭(たつちゆう)〈本因坊〉の僧算砂(本因坊算砂)を祖とする。4世道策(本因坊道策)は布石理論をひっさげて近代碁の基礎を築き,無敵の5世道知とともに本因坊家の優位を不動のものとした。9世察元は時の6世井上春碩(しゆんせき)因碩(1707-72)と名人位を争い,紛争をきわめた争碁に勝ち念願の名人となり,本因坊家中興の祖といわれる。12世丈和(本因坊丈和)は,江戸期囲碁文化の頂点をなす文政・天保期(1818-44)の碁界の覇者となった。14世秀和は悲運の人である。その実力は優に名人の資格があったが,跡目と定めた桑原秀策(1829-62)に先立たれ,幕府瓦解のときにあたって名人につくこともできず,維新後,家禄を返上して貧窮のうちに世を去った。若死した秀策はかえって,打ち盛りの年代に黒番必勝の自負をもって思う存分の活躍をし,今日まで生き残った〈秀策流〉布石の創始者たる名誉を受け,幕末の衰退を知らないですんだのは幸せであったというべきであろう。秀和の子17世,19世秀栄は明治後半の碁界で不敗の名人とうたわれ,今もその平明な碁風を慕う人が多い。18世秀甫(しゆうほ)(村瀬秀甫)は奔放な碁風で知られるが,1879年方円社を創設し,権門の庇護を離れた碁を,日本中津々浦々まで広めた功績で高く評価される。21世秀哉(しゆうさい)(本因坊秀哉)は最後の世襲本因坊で,その引退をもって本因坊の名跡は,本因坊位継承全日本専門棋士選手権戦(通称本因坊戦)のタイトルとして生まれかわった。第1期の本因坊戦が開始されたのは1939年のことで,関山利一六段が就任した。

 囲碁家元4家の,本因坊家以外の3家について概説する。井上家は本因坊算砂の弟子の中村道碩(1582-1630)を祖とする。元来本因坊家の弟分にあたるが,4家の中では実力が最も近かったためか,囲碁史上しばしば宿敵どうしとして立ち現れる。4世道節因碩(?-1719)は4世本因坊道策の弟子で,後世名人因碩と呼ばれる。6世春碩因碩は準名人で,9世本因坊察元の名人就位をはばむべく争碁を打ったことは前述した。歴代井上因碩中最も特筆すべきは11世幻庵(げんなん)因碩(1798-1859)である。1828年(文政11)準名人となり,11歳年上の12世本因坊丈和と,はげしい盤上盤外の戦いを繰り広げたことで有名。39年(天保10)丈和引退にあたり名人碁所を望んだが,14世本因坊秀和の堅い先番に敗れて涙をのんだ。碁風は策に富み,豪放絢爛(けんらん)たるものがあった。安井家は,算砂の弟子安井算哲(1589-1652)に発した。2世算知(1617-1703)は,名人碁所に就任したが,以後安井家からは名人を出していない。しかし8世知得仙知(1776-1838)は,11世本因坊元丈と生涯を通じての好敵手として総局数77局を戦い,戦績はまったく互角で,それぞれ名人の実力を有しながら,互いにゆずり合って準名人のままで終わったと伝えられる。また1世算哲の子で1683年(天和3)まで御城碁(おしろご)を務めた渋川春海は暦学者として有名。林家は本因坊算砂時代の高手鹿塩利賢(かしおりげん)に学んだ林門入斎(もんにゆうさい)(1583-1667)に発し,代々門入を名のった。11世元美門入(1778-1861)は準名人に昇ったが,碁才よりも漢学の素養で知られ,《碁経衆妙》(1811),《爛柯堂棋話(らんかどうきわ)》(1849)など数多くの著作を残している。林家は13世秀栄が,17世本因坊を継ぐために1884年林家を離籍したときに事実上その名跡を絶った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本因坊」の意味・わかりやすい解説

本因坊
ほんいんぼう

算砂(さんさ)(1558―1623)を初代とする囲碁の家元で、現在は選手権制によるタイトルの一つ。一般に碁の強い人の別称としても使われる。

 16世紀に、京都・寂光寺の本因坊という塔頭(たっちゅう)の住職日海上人(しょうにん)は碁の名手として知られ、初め織田信長に引見され、のち豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康に仕えた。信長は日海の技量を名人とたたえ、秀吉は碁会を催し、成績抜群の日海に20石十人扶持(ぶち)の官賜「碁所(ごどころ)」の位を贈った。秀吉の没後、家康は日海を江戸へ招いて、名人碁所に任じ、50石五人扶持を与えた。日海は本因坊を号とし、算砂と改名した。これが本因坊の名跡(みょうせき)の始まりである。以後、世襲制がとられ、本因坊としては、4世道策(どうさく)(1645―1702)、5世道知(どうち)(1690―1727)、9世察元(さつげん)(1733―1788)、12世丈和(じょうわ)(1787―1847)、19世秀栄(しゅうえい)(1852―1907)らの名人が輩出。21世本因坊秀哉(しゅうさい)(1874―1940)が引退を期に名跡を毎日新聞社に譲渡、毎日新聞社は新しい棋戦としての本因坊戦の独占掲載を条件に本因坊名跡を日本棋院に寄贈した。こうして、本因坊は1939年(昭和14)から選手権制に改められ、囲碁選手権戦のタイトルの一つとなった。

[河野直達 2020年5月19日]

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百科事典マイペディア 「本因坊」の意味・わかりやすい解説

本因坊【ほんいんぼう】

囲碁の家元。京都寂光寺第2世であった加納算砂(日海)が祖で,寂光寺の自坊にちなんで本因坊算砂と名乗った。初世算砂名人以後,歴代の本因坊は安井・井上・林の各家とともに4家元で碁所の司に就任。4世道策(本因坊道策),5世道知,9世察元,12世丈和,19世秀栄,21世秀哉(本因坊秀哉)が名人。1938年,秀哉は引退にあたって本因坊の名跡を毎日新聞社に譲渡,毎日新聞社はこれを日本棋院に寄付した。翌1939年より本因坊は一代世襲を改め,本因坊戦の勝者が名乗るタイトルとなった。
→関連項目方円社

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本因坊」の意味・わかりやすい解説

本因坊
ほんいんぼう

もとは京都寂光寺の開祖日淵の坊号。初め本因坊日雄といっていたが,久遠院を称するにあたり甥の日海 (1世本因坊算砂 ) にそれを譲った。寂光寺に本因坊という塔頭 (たっちゅう) があり日海はそこに住んでいたといわれる。彼は碁の名手で,その坊号「本因坊」はやがて江戸時代の家元「本因坊家」の姓となった。昭和初期まで上方風に「ほんにんぼう」といいならわしていたが,第2次世界大戦後急速にふえた囲碁ファンは「ほんいんぼう」と呼替えてしまった。江戸時代,本因坊家は棋院四家の長格であった。また算砂は本因坊を京都から江戸へ移した。「本因坊」は人 (本因坊家の当主) と建物 (本因坊の住居または道場) の2つを意味する言葉になった。

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知恵蔵mini 「本因坊」の解説

本因坊

囲碁の家元の一つで、現在は囲碁の本因坊戦に優勝した棋士に与えられる称号。本因坊とは、もともとは安土桃山~江戸時代初期に織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人に仕えたとされる碁の名手・本因坊算砂を開祖とする家系で、多くの名棋士を輩出した。1938年、21世本因坊秀哉が引退を機に本因坊の名跡を毎日新聞社に譲渡し、同社がこれを日本棋院に寄贈。これにより本因坊は家元制から選手権制へと移行し、39年以降は囲碁選手権戦・本因坊戦のタイトルとなっている。

(2013-7-12)

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世界大百科事典(旧版)内の本因坊の言及

【寂光寺】より

…そののち,寺地は洛中を転々し,江戸中期から現在地に移った。当寺が世に注目されるのは囲碁の名人,本因坊1世の算砂(さんさ)日海(本因坊算砂)が出たからである。本因坊は当寺の塔頭の一つ。…

【本因坊算砂】より

…安土桃山~江戸初期の囲碁名人。1世本因坊。京都寂光寺の開祖日淵の甥にあたる。…

※「本因坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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