雁金準一(読み)カリガネ ジュンイチ

20世紀日本人名事典 「雁金準一」の解説

雁金 準一
カリガネ ジュンイチ

明治〜昭和期の棋士 囲碁名誉9段。



生年
明治12(1879)年7月30日

没年
昭和34(1959)年2月21日

出生地
東京・本郷

旧姓(旧名)
岩瀬

経歴
方円社に入り明治33年4段、38年方円社を辞し、本因坊秀栄名人の門に入った。秀栄の死後本因坊襲位戦で田村保寿(秀哉)と争ったが敗れた。大正11年瀬越憲作、高部道平らと裨聖会を創立。また13年創設日本棋院に参加したが、すぐ脱退、棋正社を結成した。15年読売新聞連載の院社対抗戦第1局で秀哉と大熱戦を展開したが、これにも敗れ、表舞台から消えた。死後名誉9段。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雁金準一」の解説

雁金準一 かりがね-じゅんいち

1879-1959 明治-昭和時代の囲碁棋士。
明治12年7月30日生まれ。本因坊秀栄に入門。秀栄没後,田村保寿(秀哉)と本因坊をあらそう。大正13年日本棋院に参加するが,脱退して棋正社を結成。15年の院社対抗戦で秀哉に敗れた。昭和16年瓊韻(けいいん)社を創設。昭和34年2月21日死去。79歳。日本棋院から名誉9段を追贈された。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「雁金準一」の解説

雁金 準一 (かりがね じゅんいち)

生年月日:1879年7月30日
明治時代-昭和時代の囲碁棋士
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の雁金準一の言及

【本因坊秀哉】より

…初め方円社の塾生,後に本因坊秀栄(1852‐1907)の門下となる。秀栄没後,後継者をめぐって雁金(かりがね)準一(1879‐1959)と争わなければならなかったが,秀栄の実弟秀元の援助により,1908年,21世本因坊,14年終身制最後の名人となる。力戦型の碁風で,従来の布石重視の風潮に転機をもたらした。…

※「雁金準一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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