本多忠央 ほんだ-ただなか
1708-1788 江戸時代中期の大名。
宝永5年生まれ。本多忠次の長男。正徳(しょうとく)元年4歳で三河(愛知県)挙母(ころも)藩主本多家3代となる。寛延2年遠江(とおとうみ)(静岡県)相良に転封(てんぽう)。宝暦8年西丸若年寄にすすむ。同年美濃(みの)(岐阜県)八幡(はちまん)藩の百姓一揆(いっき)(金森騒動)に関連して領地没収となり,美作(みまさか)(岡山県)津山に配流された。天明8年6月24日死去。81歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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