デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠次」の解説
本多忠次(2) ほんだ-ただつぐ
延宝7年10月21日生まれ。長門(ながと)(山口県)府中藩主毛利(もうり)綱元の次男。本多忠利(ただとし)の養子となり,元禄(げんろく)13年三河(愛知県)挙母(ころも)藩主本多家2代。風水害により悪化した藩財政の立て直しにつとめた。正徳(しょうとく)元年11月20日死去。33歳。初名は匡英(まさひで)。
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...