デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠次」の解説 本多忠次(2) ほんだ-ただつぐ 1679-1711 江戸時代前期-中期の大名。延宝7年10月21日生まれ。長門(ながと)(山口県)府中藩主毛利(もうり)綱元の次男。本多忠利(ただとし)の養子となり,元禄(げんろく)13年三河(愛知県)挙母(ころも)藩主本多家2代。風水害により悪化した藩財政の立て直しにつとめた。正徳(しょうとく)元年11月20日死去。33歳。初名は匡英(まさひで)。 本多忠次(1) ほんだ-ただつぐ 1548-1612 織豊-江戸時代前期の武将。天文(てんぶん)17年生まれ。徳川家康につかえ,永禄(えいろく)7年今川方の三河吉田城攻めに活躍,三河国内に5000貫の地をあたえられた。姉川の戦い,長篠(ながしの)の戦いなどにも従軍し手柄をたてた。慶長17年死去。65歳。通称は隼人佐,縫殿助。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「本多忠次」の解説 本多忠次 (ほんだただつぐ) 生年月日:1679年10月21日江戸時代中期の大名1711年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by