本多忠憲 ほんだ-ただのり
1774-1823 江戸時代後期の故実家。
安永3年8月25日生まれ。本多忠永(ただなが)の7男。故実を伊勢貞春に,俳諧を父にまなぶ。屋代弘賢(やしろ-ひろかた),小山田与清(ともきよ)らと交遊し「上覧乗馬の記」「兜之考」「差物考」などの軍陣故実の著作をおおくのこした。文政6年5月2日死去。50歳。江戸出身。字(あざな)は心水。通称は甲馬,靫負(ゆげい)。号は其香,華陽,回芳斎など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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本多忠憲 (ほんだただのり)
生年月日:1774年8月25日
江戸時代後期の故実家
1823年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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