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小山田与清 おやまだ ともきよ

美術人名辞典の解説

小山田与清

(高田氏)武蔵の人、生地多摩郡小山田の村名により小山田とも称す。通称虎之助、寅吉他。家号を薬山堂。玉河亭他。春海の門に学び、最も類書に通じ、平田篤胤神学伴信友考証と共に当時三大家と称せられる。弘代4年(1847)歿、65才。

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百科事典マイペディアの解説

小山田与清【おやまだともきよ】

江戸後期の国学者。松屋(まつのや)と号す。武蔵(むさし)国多摩(たま)郡の人。江戸神田(かんだ)の漕運業高田家の養子となったが,のち隠居して著述に専念。漢学を古屋昔陽(せきよう)に,国学を村田春海(はるみ)に学び,博覧強記で,考証を得意とした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小山田与清 おやまだ-ともきよ

1783-1847 江戸時代後期の国学者。
天明3年3月17日生まれ。村田春海(はるみ)と漢学の古屋昔陽に師事。蔵書は5万巻におよび,考証に力をそそぐ。常陸(ひたち)水戸藩主徳川斉昭(なりあき)にまねかれ,彰考館で講義した。平田篤胤(あつたね),伴信友と当時の三大家といわれる。弘化(こうか)4年3月25日死去。65歳。武蔵(むさし)多摩郡(東京都)出身。本姓は田中。通称は仁右衛門,庄次郎など。字(あざな)は文儒。号は松屋など。編著に「群書捜索目録」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小山田与清

没年:弘化4.3.25(1847.5.9)
生年:天明3.3.17(1783.4.18)
江戸後期の国学者,文人。初名は貴長,通称寅之助,高田家を継いでからは名を与清,通称を庄次郎,茂右衛門などに改めた。晩年は将曹と称した。字は文儒,号は松屋,擁書倉,知非斎などを用いた。武蔵国多摩郡小山田村(東京都町田市)の郷士田中本孝と稲の子。24歳で見沼川の運漕主事高田与成の養子となり,神田花房町の通船屋敷に居住。享和1(1801)年に江戸派国学の領袖村田春海に入門して以来,歌文と古典注釈にいそしみ,文化8(1811)年,師亡きあとは,清水浜臣,岸本由豆流と共に江戸国学の指導的な立場にいた。豊富な財産と幅広い交友に支えられた考証生活は春海に似る一方,人となり穏やかでない面もあって,浜臣との確執,山東京伝を憤怒させ死に至らしめた噂など,文壇に好話柄を提供した。蔵書すこぶる多く,その閲覧を同志に許した。天保2(1831)年の評判書『しりうごと』に登場すること自体,知名度の証しではあるが,「書きあらはすものども,ことごとく愚人をわが博覧の舟にのせて,漕ぎ賃をおほく得んと欲する卑劣心が見えて」云々と,その点数は辛い。周辺の事情をふんだんに盛り込んだ考証随筆『松屋叢話』『擁書漫筆』などや『擁書楼日記』は著名。著作の概要は,59点を集成した『松屋叢書』(写本30冊,国立国会図書館蔵)にうかがえる。

(ロバート・キャンベル)

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世界大百科事典 第2版の解説

おやまだともきよ【小山田与清】

1783‐1847(天明3‐弘化4)
江戸後期の国学者。武蔵国多摩郡上小山田村の生れ。父は田中本孝。通称六郎左衛門。字は文儒。号は松屋,知非斎,報国恩舎,擁書倉など。1803年(享和3)江戸の豪商高田家の養子となる。漢学を古屋昔陽に,国学を村田春海に学ぶ。その学は古今和漢にわたり,考証学を得意とした。平田篤胤,伴信友と並び春海,加藤千蔭以後の三大家と称せられる。のち水戸斉昭の命により史館に出仕,また華頂宮尊超親王のため講筵を開き,その臣下にも加えられた。

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大辞林 第三版の解説

おやまだともきよ【小山田与清】

高田たかだ与清

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小山田与清
おやまだともきよ

[生]天明3(1783).3.17. 武蔵,多摩
[没]弘化4(1847).3.25. 江戸
江戸時代後期の国学者,故実家。幼名は寅之助,通称は六郎右衛門,将漕と称した。号は松屋 (まつのや) 。江戸の高田氏の養子となり漕運業を営み,のち隠居して小山田の本姓に復し,学問に専念した。村田春海門下であるが,漢籍にも造詣深く博覧をもって知られ,特に考証に力を尽した。蔵書5万巻に及び『群書捜索目録』の編纂に心力を傾倒した。平田篤胤,伴信友とともに春海,加藤千蔭以後の大家と称される。高田早苗の祖父にあたる。著書『松屋筆記』『鹿島日記』『南都薬師寺金石記』『松屋叢考』『松屋棟梁集』『仏足石歌解』『多摩川考』『歌体弁』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小山田与清
おやまだともきよ
(1783―1847)

江戸後期の国学者。武蔵(むさし)国多摩郡小山田村(東京都町田市上小山田)の郷士田中本孝の子。24歳のとき江戸・神田(かんだ)花房町(東京都千代田区外神田)の見沼川運漕主事高田家を嗣(つ)ぐ。字(あざな)は文儒。通称六郎右衛門、のち将曹。松屋、知非斎と号す。46歳で隠居後、小山田姓を称す。蔵書家として知られ、『松屋筆記』(1845ころ成立)、『松屋叢話(そうわ)』(1814刊)など多数の著書がある。とくに古典の事項索引『群書捜索目録』(成立年未詳)は注目すべき業績である。蔵書は彰考館(しょうこうかん)に、稿本類は国会図書館、早稲田(わせだ)大学、静嘉堂(せいかどう)文庫などに所蔵。弘化(こうか)4年3月25日没。65歳。墓は東京都豊島(としま)区駒込(こまごめ)の染井霊園に現存。高田早苗(さなえ)はその子孫。[梅谷文夫]
『大川茂雄・南茂樹編『国学者伝記集成』(1904・大日本図書/復刻版・1967・名著刊行会)』

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367日誕生日大事典の解説

小山田与清 (おやまだともきよ)

生年月日:1783年3月17日
江戸時代後期の国学者;文人
1847年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の小山田与清の言及

【クジラ(鯨)】より

…近世まで鯨は荒巻(あらまき)にして中央へ送られることが多く,肉は汁の実,刺身,あえ物など,かぶら骨はなますやあえ物,内臓はいろいろに調理して賞味された。天保3年(1832)刊の《鯨肉調味方(げいにくちようみほう)》は鯨の部位のすべてについてその食味と調理を記した奇書で,小山田与清の筆になるとされる。もっとも美味とされる〈尾の身(おのみ)〉は尾に近い部分の背肉で,霜降り状に脂があって軟らかく,刺身として珍重される。…

【肉食】より

…しかし全体としては,国学者などを中心にあくまで肉食を不浄視する保守派のほうが多く,幕末にいたるまで肉食の是非についての論議が盛んに行われた。その一人,天保期国学の大家とされる小山田与清(おやまだともきよ)は《鯨肉調味方(げいにくちようみほう)》という鯨料理一式の本の著者に擬せられてもいるが,大の肉食反対論者で,〈文化文政年間より以来,江戸に獣肉を売(うる)家おほく,高家近侍の士もこれを噉(くらう)者あり。猪肉を山鯨と称し,鹿肉を紅葉と称す。…

【松屋筆記】より

…江戸後期の国学者小山田与清(ともきよ)の手になる辞書風随筆。120巻。…

※「小山田与清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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