本多忠村(読み)ほんだ ただむら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠村」の解説

本多忠村 ほんだ-ただむら

1710-1722 江戸時代中期の大名
宝永7年生まれ。本多忠直(ただなお)の次男享保(きょうほう)2年大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主本多家(定通系忠義家)4代となる。わずか8歳で,幕府では郡山藩主に京都守護任務があることから移封すべきとの論もでたが,将軍徳川吉宗のはからいでそのままになったという。享保7年9月30日死去。13歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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