イギリスの小説家、ジャーナリスト。本名Foe。商人の子としてロンドンに生まれ、衣料雑貨商を営んだこともあるが、1701年に政治風刺詩『生粋(きっすい)のイギリス人』を書いてオランダ系の当時の国王ウィリアム3世を弁護し、政党対立する時代の政治ジャーナリズムに入る。一貫して非国教徒の商人階級の味方の立場をとったが、反対派はかならずしもそうはみず、金に動かされる御用作家だと攻撃した。
非国教徒を徹底的に弾圧せよと主張するふりをして、弾圧の愚かさをかえって強く訴えるパンフレット『非国教徒処理の近道』(1702)を書いて政府ににらまれて投獄され、さらし台に立たされたが、民衆には支持された。1704年には個人新聞『レビュー』を創刊し、以後10年近くにわたって週3回刊のこの新聞のため論説を書き、イギリス商業、貿易の策や商人道徳、宗教問題を論じた。ほぼ同じころ、有力な政治家ロバート・ハーリー(後の首相)の情報係としても秘密の活動を続け、スコットランドに赴いて、スコットランドとイングランドの統一問題の舞台裏で働いている。
しかし、今日、彼のもっとも有名な作品は『ロビンソン・クルーソー』であり、1719年これを発表してから、散文による物語を次々に書くようになった。環境のせいもあって、さまざまの罪を重ね、男を遍歴する女性モルの自伝という形式の小説『モル・フランダーズ』(1722)は、逆境をたくましく生きるあばずれ女モルと当時の下層階級を写実的に描き、『ロクサナ』(1724)も同様に自伝の形で、5人の子をもちながら夫に捨てられ、大陸まで放浪して生きていく女の話である。彼の作品の多くは自伝形式をとり、さまざまの悪を経験したのちに、やがて悔い改める話であって、当時の犯罪実話や冒険記にキリスト教的な堕落、苦悩、悔悟を綴(つづ)る教訓的自伝のパターンを重ね合わせたものである。これらの散文物語とやや趣(おもむき)を異にするのが『疫病年日誌』(1722/邦訳名『疫病流行記』『ペスト』)で、17世紀後半にロンドンで大流行したペストに苦しむ人たちのありさまを一市民が記録した日誌という形であるが、冷静かつ詳細な観察のなかにペストを神の試練としてとらえており、彼の多面的で複雑な性格をよく示している。また、『グレート・ブリテン島周遊記』(1724~1727)は、産業革命前夜の各地の産業実態が描かれ、貴重な史料である。『完全なイギリス商人』(1726~1727)は、商業を志す若者に商人道、心得を説いたものである。
[岡 照雄]
『泉谷治訳『疫病流行記』(1967・現代思潮社)』▽『平井正穂訳『ペスト』(中公文庫)』▽『伊沢龍雄訳『モル・フランダース』全2冊(岩波文庫)』▽『サザランド著、織田稔訳『デフォー』(1971・研究社出版)』
イギリスのジャーナリスト,小説家。ロンドンの商人ジェームズ・フォーの子として生まれ,郊外にあった非国教徒の学校で教育を受けた。聖職者を志すが,果たさずに商人となる。ウィリアム3世即位のころ,デフォーと改姓し文筆活動を始める。《企画論》(1697)を著して世に出,さらに外国生れのウィリアム3世への悪口に対抗して王を弁護した風刺詩《生れの正しいイギリス人》(1701)を発表して一躍名をなした。しかしウィリアム3世の死後,極端なトーリー的立場を風刺した文章《非国教徒処理の捷径(しようけい)》(1702)のために捕らえられ,3日間のさらし台の刑に処せられた。その後トーリー党の政治家ロバート・ハーリーに仕え,1707年のイングランドとスコットランドとの合同に際してはスコットランドに関する多くの情報を提供した。その間,定期刊行物《レビュー》(1704-13)を独力で刊行,時事問題,宗教,商業を論じジャーナリストとして活躍した。トーリー主義者として知られたアン女王の死後,彼は表面的な政治的活動はひかえざるをえなくなった。しかし,1719年孤島漂流記《ロビンソン・クルーソー》の発表とともに,小説という新しい活動分野を見いだし,以後5年間にわたって《シングルトン船長》(1720),《モル・フランダーズ》《疫病年の記録(ペスト)》《ジャック大佐》(いずれも1722),《ロクサーナ》(1724)などをやつぎばやに出版した。これらの大半は波乱に富む主人公の一代記を〈事実〉の記録として描いたものであり,その写実的な手法のためにイギリス最初の近代小説とみなされている。ほかにJ.シェパードなどの盗賊や海賊の伝記もある。
デフォーには経済学者ともいえる側面もあり,《グレート・ブリテン島周遊記》(1724-27)には産業革命前夜の各地の産業実態が描かれ,経済史研究のための貴重な史料ともなっている。また,禁欲的・合理主義的徳目を説いた経営指導書《イギリス商人大鑑》(1725-27)や,自由貿易論にのっとってイギリス経済のあるべき姿を描いた《イギリス経済の構想》(1728)などの著書を残している。デフォーの経済観は《ロビンソン・クルーソー》にも反映しており,マルクスやM.ウェーバーの著書にも経済人ロビンソンへの言及がある。日本では夏目漱石が《文学評論》(1909)で初めてデフォーを本格的に紹介している。デフォーは日常の事実以外は何も書いていないとして,漱石は批判的ではあるが,V.ウルフが評したようにデフォーは〈事実を描く天才〉といえよう。
執筆者:榎本 太+山本 泰男
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1660~1731
イギリスのジャーナリスト,小説家。商人の子に生まれる。野心家でさまざまな商売に手を出す一方,小冊子,週刊誌で政府を風刺,攻撃。時に投獄されたこともあったが,政治家と親密な関係を築き,ジャーナリズムの重要性を増すのに貢献した。また,波瀾万丈の経験を生かして小説を著した。代表作は『ロビンソン・クルーソー』『モル・フランダース』。
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… 18世紀にはいると,フランスの絶対主義的重商主義(コルベルティスムcolbertisme),とくにイギリス産毛織物に対する重関税政策に対抗して新市場を獲得するためにメシュエン条約(1703),ユトレヒト条約(1713)が締結され,後者の付帯条項〈英仏自由通商条項〉に関しては〈英仏通商論争〉が引き起こされたが,結局,英仏の自由通商は1786年のイーデン条約まで延引された。この論争の渦中で保護主義者C.キングは保護関税の必要と低賃金の実現とを説いたが,これに対し自由貿易論者D.デフォーは《イギリス経済の構図》(1728)などで,高賃金による消費増大に基づく国内市場形成と労働意欲・生産力増大による輸出製品の実質的低廉化の必要を説き,保護主義者の悲観的見地からの転回を意図した。この意図は,D.ヒュームやJ.タッカーを経てA.スミスにつながる経済思想であった。…
…イギリスの小説家D.デフォーの小説。1719年刊。…
※「デフォー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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