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京都守護 きょうとしゅご

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

京都守護
きょうとしゅご

鎌倉幕府の機関。朝廷との連絡,京都における御家人の統制,監視,警固,裁判機関として設置された。文治1 (1185) 年,北条時政が任命されたのが最初で,以後,一条能保中原親能平賀朝雅中原季時伊賀光季大江親広らが補任された。しかし承久の乱後,これに代って六波羅探題が設置された。

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百科事典マイペディアの解説

京都守護【きょうとしゅご】

鎌倉幕府の職名。1185年京都の治安維持,朝廷と幕府の交渉などの目的で設置され,初代は北条時政(ときまさ)。以後,一条義保(よしやす)・中原親能(ちかよし)・平賀朝雅(ともまさ)等が就任。幕府の重要時期だけに在京する臨時的性格が強く,幕府中枢権力者と密接な関係者が就任。承久(じょうきゅう)の乱後,六波羅探題(ろくはらたんだい)となり解消した。
→関連項目一条能保

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世界大百科事典 第2版の解説

きょうとしゅご【京都守護】

鎌倉幕府の職名。洛中守護京都警固六波羅とも称した。以前,源義経,大内惟義など,源頼朝の代官的存在として京都の警衛を担当した者はあったが,その段階ではまだ官職とはいえず,1185年(文治1)11月に入京した北条時政が初例。以後,一条能保(在任1186‐94),中原親能(1186‐88,1195‐1208),平賀朝雅(1203‐05),中原季時(1205‐19),伊賀光季・大江親広(各1219‐21)が就任。

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大辞林 第三版の解説

きょうとしゅご【京都守護】

鎌倉幕府の初期、京都警衛および近畿一帯の政務をつかさどった職名。1185年、北条時政が初代としてその任にあたった。洛中らくちゆう守護。京都警固。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

京都守護
きょうとしゅご

鎌倉時代前期の幕府の職名。京都にあって御家人(ごけにん)を統率し、洛中(らくちゅう)の警備、裁判などの政務を行い、朝廷との折衝、京・鎌倉間の連絡にあたったが、後の六波羅探題(ろくはらたんだい)に比して権限は弱かった。1185年(文治1)の北条時政(ほうじょうときまさ)が初代とされ、ついで一条能保(いちじょうよしやす)、中原親能(なかはらちかよし)が就任した。初期には源頼朝(よりとも)の縁者、側近があてられたが、時政が執権となった1203年(建仁3)以後は、平賀朝雅(ひらがともまさ)、伊賀光季(いがみつすえ)など北条氏の縁者が多く派遣され、しかも同時に2名が任ぜられるようになった。承久(じょうきゅう)の乱(1221)後、六波羅探題が設置されて消滅した。[小山靖憲]

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世界大百科事典内の京都守護の言及

【山城国】より


[支配機構]
 1185年(文治1)11月,源頼朝は北条時政を京都に送り,洛中の守護と近国の管轄にあたらせた。これ以降,承久の乱(1221)までは北条時政,平賀朝雅,伊賀光季が京都守護として山城国の支配にあたったが,鎌倉幕府の山城・京都への支配力は十分に浸透していなかった。そこで承久の乱後は,北条氏の一族が六波羅探題(ろくはらたんだい)として京都に派遣されることになった。…

※「京都守護」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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