ラモー(読み)らもー(英語表記)Jean-Philippe Rameau

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラモー」の意味・わかりやすい解説

ラモー
らもー
Jean-Philippe Rameau
(1683―1764)

フランスの作曲家、音楽理論家。ディジョン生まれ。アビニョンリヨンクレルモン・フェラン、パリで教会オルガン奏者を務め、その間1706年にクラブサン曲集を出版。22年、近代の音楽理論の基礎となる著作『和声論』を刊行し、理論家として一定の評価を受ける。50歳を迎えた33年、ラシーヌ戯曲フェードル』をもとにした歌劇(音楽悲劇)『イポリットとアリシー』を発表、以後精力的に舞台音楽を作曲、18世紀フランスの最大の歌劇作曲家になった。イタリア音楽とフランス音楽の優劣をめぐっておきたブフォン論争(1752)に際しては、イタリアを推すJ・J・ルソーらの啓蒙(けいもう)主義者と対立、リュリ以来のフランス音楽を擁護する立場から、盛んに論文等を発表した。パリに没。

[美山良夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラモー」の意味・わかりやすい解説

ラモー
Rameau, Jean-Philippe

[生]1683.9.25. 〈洗礼〉ディジョン
[没]1764.9.12. パリ
後期バロック時代を代表するフランスの作曲家,音楽理論家。オルガン奏者の子で,1702年よりアビニョンをはじめクレルモンフェラン,パリ,ディジョン,リヨンなどでオルガン奏者をつとめたが,23年よりパリに定住し,財務官ラ・ププリニエール家の後援を得て,オペラバレエの作曲家として頭角を現した。主作品は悲劇的オペラ『イッポリートとアリシー』 (1733) ,『カストルとポリュックス』 (37) ,『ダルダヌス』 (39) ,バレエ・オペラ『優雅なインドの国々』 (35) ,コミック・オペラ『プラテー』 (45) のほか,『クラブサン曲集第1巻』 (1706) や室内楽曲など。主著は『和声論』 Traité del'harmonie (22) 。

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