20世紀日本人名事典 「本多政以」の解説 本多 政以ホンダ マササネ 明治・大正期の男爵 石川県農工銀行頭取;貴院議員。 生年元治1年10月21日(1864年) 没年大正10(1921)年7月16日 出生地加賀国金沢(石川県) 別名幼名=資松 経歴加賀金沢藩家老・本多政均の長男に生まれる。明治2年執政であった父が守旧派に暗殺され、6歳で家督を継ぐ。5年金沢で英数の学を修め、12年東京に出て小永井小舟に漢籍を学び、13年大阪で藤沢南岳に師事。のち織物工場経営の後、30年石川県農工銀行の設立に尽力し、31年頭取に就任。金沢実業会会長、七尾鉄道取締役なども務めた。33年男爵。37年貴族院議員。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多政以」の解説 本多政以 ほんだ-まささね 1864-1921 明治-大正時代の実業家,政治家。元治(げんじ)元年10月21日生まれ。本多政均(まさちか)の長男。6歳のときに加賀金沢藩の執政であった父が守旧派に暗殺される。東京,大阪でまなび,織物工場経営ののち明治31年石川県農工銀行頭取となり,金沢実業会会長をつとめた。貴族院議員。大正10年7月16日死去。58歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by