朝日日本歴史人物事典 「本多貞吉」の解説
本多貞吉
生年:明和3(1766)
江戸中・後期の陶工。再興九谷焼の立役者。肥前(長崎県)島原の出身で,伊予(愛媛県)の大洲,摂津(兵庫県)の三田で製陶を行ったのち,文化3(1806)年に青木木米の助手となり,加賀(石川県)金沢の春日山窯の築造に参加した。木米が帰京したあとも加賀にとどまり,同8年小松に若杉焼を開いた。貞吉が隣村の花坂村六兵衛山で磁土を発見したため若杉焼は磁器窯として将来を期待され,加賀藩は若杉陶器所という組織を作り,貞吉を職長として,全国から陶工を集めて,4000坪からなる大規模工場を作り上げた。若杉焼はあらゆる種類の陶磁器を焼成し,再興九谷焼の中心的窯に成長した。
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報